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小説:コトリとアスカの異聞奇譚 5-8
日曜日の午後。
実家暮らしだというヒロユキの家は、ときじく薬草珈琲店から南へ20分ほど歩いた、京終駅近くの住宅地にあった。庭はなく、道路に面した引き戸を開けるとすぐに玄関だ。
琴音と明日香に別れを告げてヒロユキ宅に到着した二人は、その古びた引き戸をくぐり、家の中へと入っていく。
「ごめんね、ごちゃごちゃしていて」
廊下の突き当りの左がヒロユキの寝室だと言う。その右の部屋に二人は入った。そこには楽器が所狭しと並んでいる。ヒロユキはリネ君のケージを定位置に置く。
ヒロユキはキーボードの電源をつけながら「何か飲む?」と尋ねるが、さっきまでコーヒーを飲んでいた葵は笑顔で首を横に振った。
「この部屋は父と僕の練習部屋だったんだけど、今は僕の専用」
少し寂しそうな笑顔。しかし、ヒロユキはすぐに気を取り直し、鍵盤に右手を置いた。
「さて。まず、ドミソ。葵さん、これは長調?短調?」
「もちろん、明るい響きだから、長調」
「だよね。じゃあ、ミソシは?」
「短調。少し寂しげ」
「うん。その四音をつないだのが、メジャーセブンスコード」
そう言って、ヒロユキはドミソシの四音をキーボードで奏でる。
「あ、これって、『翼を広げる夜』の、君は一人じゃない~のところ?」
「いいね、葵さん、いい耳してるね。正解です。キーは違うけどね。現代のポップスなどは、ドミソシの四つ目の音、セブンス系の音を付け加えることで、豊かな音色にしているんです」
レファラド、ミソシレと、キーボードで四和音が順番に奏でられていく。
「いま弾いているのが、ダイアトニックコードというもので、4種類のコード、7つの音で成立していて。大体の曲は、この組み合わせでいい感じに仕上がっているんですよ」
ヒロユキはダイアトニックコードを組み合わせながら、いい感じに音の流れを作っていく。そして、その音に合わせてゆっくりと、短い歌を口ずさんだ。
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美しい君が
もっともっと美しくなった時
僕はその後姿を眺めながら
君が別の場所へと旅立つのを見届けるんだ
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「すごい。こうやって曲ってできるんだ・・・」
「うん。意外と簡単でしょう?ダイアトニックで曲の流れを作ってから、テンションやオルタードなどで装飾すると、まずはいったん粗削りの完成。ツーファイブに飽きたら、違うところからスタートするとかね」
そういいながら、色々と自在に素敵な音色を紡ぎだしていく。
「素敵・・・。あ、でも、さっきの歌詞だけど、ちょっと寂しい感じだったね」
「うん、そうなんだよね・・・」
葵の問いにヒロユキは少し言い淀んでから、その話の続きを語った。
「大学の時に、すごく真面目で誠実な彼女ができて、大好きだったんだけど、お互いに好き合っていたと思っていたんだけど。ある日突然、いなくなって。大学にも来なくなって。初めの数か月は僕も狂ったように探したりしていて。でも、半年後に街を歩いているときに偶然出会ったんだよね・・・男と一緒だったんです。その時の彼女のものすごく冷たい瞳が僕の目に焼き付いてしまってね・・・」
「それはひどい・・・」
「うん・・・それ以降、すごく好きで、仲良くなった女性もできたんだけど、そしてその人のことを知れば知るほどその人のことを美しいと感じられるようになるんだけど、好きだと感じられるようになるんだけど、それと同時にあの冷たい瞳を思い出してしまって。・・・多分、フラッシュバックって言われるトラウマ的なものなんだと思う」
「・・・」
「その彼女の笑顔を見るたびに、眩暈や吐き気を感じるようになってしまって。・・・最悪だよね、僕。そして、泣きながらその関係を終わらせたんです。ごめんなさい、ごめんなさいって。本当にその相手にも申し訳なくて。でも、聞き入れてくれて。そのやるせなさを歌ったのが、さっきの歌なんだよね。自分が自分のために泣くための歌なんです」
目の前でますます美しくなっていく女性と別れなくてはならない運命。それは悲しいことなんだろうなぁと葵も思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな深い話も交わしながら、二人だけの勉強会は終わりの時間となった。
そして、ある程度お互いに学んだよねということで、いったん、次の約束を結ぶことなく、「じゃあ、また」とお開きとなった。
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