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小説:コトリとアスカの異聞奇譚 5-11

 火曜日の晩。新大宮駅近くのライブハウス。

 立ち見なら50人は入れる箱だったが、今日は椅子席で20人弱の客数だ。葵は左手前の席で山科真帆と並んで座っている。

 ギター弾き語りのソロライブ。緩急をつけながらの10曲は、あっという間に終わってしまった。ヒロユキのライブの常連も多いようで、曲間のトークもアットホームな感じだ。

 10曲目が終わってからのトークは、先日のリネ君の脱走についてだった。友人が手助けしてくれて見事に見つかったというくだりでは、ヒロユキは葵のほうを向きながら笑顔を見せた。自分だけ特別な扱いをしてくれたように思い、葵は少し心が躍る。

「それでは、今日の最後の曲になります。『翼を広げる夜』です」

 奥野ヒロユキの曲の中では少しシブい選曲で、周囲の客はそう来たかと興味深い表情を見せる中、葵だけは違う反応を示した・・・私が好きな曲を一番最後に弾いてくれるのかな、と。胸が熱くなる。

 静かなマイナーキーのイントロから始まり、やがて、優しくも力強いボーカルがそのギターの旋律を追う。第6弦の包み込むような深い音色、歌うような1弦と2弦のメロディラインと相まって、ライブ会場は音楽の魔法に包まれる。

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 『翼を広げる夜』

 夜空を仰ぐ、翼失くした小鳥
 胸に響く、風の音は悲しい

 けれど、星の中、微かに聞こえる
 あの日の優しい、誰かの囁き

 君は一人じゃない、暖かさを感じて
 君を包む光、導かれるように

 涙の雫、頬を伝うけれど
 希望の種が、心に芽吹く

 闇を切り裂き、再び羽ばたく時
 誰かの幽霊、そっと背中を押す

 新たな空へ、高く高く飛ぶ
 誰かと共に、永遠に繋がる

 痛みも乗り越え、翼広げるその瞬間
 小鳥の夢が、現実となる夜
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 「君は一人じゃない」と歌うヒロユキと、メジャーセブンスコードの切なくも希望の光を残すような音色。震えるように響く力強いその声は、心の奥底までも揺さぶってくる。まるでそれは、魂の共鳴。

 葵は気づくと、ひとり嗚咽していた。そして、それに気づいた真帆が、その頭を自分のほうへと寄せて優しく抱いてくれた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 片づけの後、会場スタッフとの事務手続きを終えたヒロユキは、入り口近くで待つ葵のほうへと駆け寄る。真帆はすでに帰っていた。

「ごめん、お待たせ」
「全然、でももう、お化粧がめちゃくちゃだよ」
「ううん。僕も最後の曲で葵さんと繋がり合えて、すごく嬉しかった」

 二人は電車を使わず、奈良駅の近くまで歩いて帰ることとした。

 ライブハウスを出て、5分後。今、佐保川沿いの道路を歩いている。最初は軽やかに続いていた会話が徐々に途切れ、沈黙のまま歩く。

 葵はヒロユキのほうをチラリと見た。彼の目線は遠くを見つめ、今の自分とは別の世界に向かっているように思えた。

 隣にヒロユキが歩いていて、すごく近いのに、すごく遠い感覚。いつもなら温かく感じられた彼の存在が、今は実態のないものに変わっていくように思える。葵はふと、いつか聞いたヒロユキの詩を思い出してしまった。

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 美しい君が
 もっともっと美しくなった時
 僕はその後姿を眺めながら
 君が別の場所へと旅立つのを見届けるんだ
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 好きな相手が去る姿を見守るしかできないという、ヒロユキの悲しい詩。・・・葵はまた、胸が苦しくなってきた。私が彼にもっと近づくと、彼にフラッシュバックを起こしてしまうのだろうか。そしていつか、サヨナラと言われることになるのだろうか。

 本当に苦しい。涙がにじむ。・・・そして、それに気づいたヒロユキも葵の心の支えとなる言葉を探すが、見つからない。
「葵さん・・・」

「ねぇ、ヒロユキさん」
「うん」
「私、君のことが好きみたい」
「うん」
「でも、好きってこんなに苦しいものなの?」

 声が震える。涙が溢れてくる。ヒロユキも、目の前で涙を流す大切な友人を放っておけず、優しく抱きしめた。

「葵さん、ありがとう。僕もちょっと、色々と頑張って考えてみる」
「うん、ありがとう」

 葵はヒロユキの腕の中で、琴音の言葉を思い出した。

「もし、ヒロユキさんさえ良ければ、うちの店で一緒に働いてよ」
「なんか、素敵な予感がする。真面目に考えてみるよ」
「うん。・・・私は絶対に、君のことを裏切らないから。それだけは信じてくれる?」
「葵さんの言葉だったら信じるよ」

 精神的にギリギリのやりとりの中で、何とか希望の種を残せたかな。葵はそう信じながら、その日は帰路に就いた。

※続きはこちらより


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