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心理学で日本を明るくする奈良輪侑亮の自己紹介note
「奈良輪さんの想いを実現するためには、いまはnoteを書かなきゃダメです!!」と言われ、知人の勧めで始めたnote。
まずは「プロフィール記事から書きましょう」とのことだったのでこれを書いています。
僕の職業柄、話すことは多くても、書くことはあまり多くなくて、しかも泥臭い地味な人生を送って来ているので、正直ちょっと人生を語ることに苦手意識アリマス。笑
でも頑張って僕の人生を赤裸々に書きます。不慣れな更新ですが、末長くお付き合いください。
以下は1分で読めるダイジェスト版です。
奈良輪侑亮ってどんな人?
・平成元年生まれ(29歳)
・訳あって心理学に没頭、24歳で起業。
・現在は、心理学を10年勉強していて、PSYCHOLOGY JAPAN 代表
・「0からカウンセリング、コーチングを教える心理学の専門家」という感じの肩書き
・「カウンセラー・コーチが増えれば、自殺・病気・犯罪は減る!」と信じている。
・天皇杯3連覇石井講祐プロバスケットボール選手専属コーチ
・最高年間相談件数2500回超え
・児童養護施設支援団体Time理事もやっている。
・「日本で3本の指に入る愛妻家」と呼ばれるくらい妻が好き。
自己紹介noteのあらすじ
普通の家に生まれた一般人。才能や情熱は見当たらない青春時代を過ごす。
挫折と劣等感ゆえに、起業する。更に挫折と失敗を繰り返し、今に至る。
挫折を繰り返したからこそ、その度に「本質とはなんだろうか」と考え続け、心理学の理論を追求し続け、自分で作った。今では全てのことがだいたい解決して、ハッピーライフを過ごせるようになった。
さて、本文はここから!5000文字くらいあります。以下お付き合いいただけると幸いです。
1.優しくて真面目な両親の元に生まれた「THE普通の男の子」
平成元年の岡山生まれ、千葉育ち。
大企業の下請け企業で働く父とパートで働く母のもとに生まれる。今も昔も両親は2人とも絵に書いたように優しい。覚えてないくらい小さい頃の僕の写真を見ても、とても可愛がられているものばかり。
一般家庭に生まれた、いわゆる「普通の男の子」。
2.世の中は疑問だらけ!大人にこころを閉ざした9歳児
「必要なことは3歳までに教えた。あとは自分で考えなさい。」
・自分がされて嫌なことは人にしないこと
・待ち合わせの5分前には着くこと
・男たるもの泣かないこと
・女の子には優しくすること
...etc
そんなことを3歳までにたくさん教えてくれたのだろう。物心ついた時には、僕の中にはそういう「常識的なもの」がもうあった。
それゆえに僕は、小学生の頃から、他の子達より少しマセていたのだと思う。いつも何かを考えていた。
そんな僕には疑問だらけだった。
「先生は廊下を走るなというけど、なぜ走ってはいけないのだろう?怪我をするからという理由なら、授業のサッカーの方がよっぽど危ない気がするけど。」
「なんで勉強しなきゃいけないんだろう?どう見ても親は日常生活で、三角形の面積を求めていないよ。」
「宇宙はビックバンでできたとか意味わからん。そのまでは何があったの?」
...こんなことばかり考えていた。
明確に反抗したのは確か、9歳の時。「宿題しなさい」という親の言葉に議論をふっかけ、論破した。それを良いことに「男なんだから女を泣かしちゃいけません」という学校の先生の言葉にも反発した。
自分の頭で考えた結果、「大人はラクをする為に正しさや権力を使うんだ」
みたいにしか思えなくて、その頃から大人が嫌いになった。
3.いじめたり、いじめられたりの中学時代
そんなこんなで小学校を卒業し、中学校に入学。僕はサッカー部に入るつもりだった。
でも、当時のヤンキードラマ「ごくせん」に出てくるようなヤンキーが、中学3年のサッカー部にいた。先生には反発してても根が優しい僕(身長150cm)は、ヤンキー(170cm)が怖くて仕方がない。
結局、サッカー部ではなく、卓球部に入ることにした。(走るの嫌い、坊主が嫌で残った運動部が卓球部しかなかった。)
中2の頃には、根が優しくて真面目なもんだから、部長になっていた。しかし大人嫌いなもんだから、少しグレてもいた。そして卓球部にいながら、クラスでイケてるグループに所属するような毎日を過ごしていた。
そして、思春期に始まるいじめ。
僕はいじめのくだらなさに気付きながらも、自分の居場所のために、クラスメイトがいじめられているのを見て見ぬ振りをしたり、その場に参加していたりした。
案の定、ローテーションで僕の番も来た。無視される、居場所がない、殴られる...それくらいだったけど、とても辛かった。
大人が嫌いな僕は、誰にも頼らず、自分でイケてるグループに復帰する計画を立てた。
結果2ヶ月くらいで僕へのいじめは終わった。
4.友情と恋愛を謳歌する高校時代
そして時は流れ、高校生活。
僕はいじめをするのも、されるのも、見るのも、完全に嫌気がさしていた。
高校では自分が学年でトップクラスの権力を持てば、いじめがない文化を作れるのではないかと思っていた。
中学3年から高校入学初期まではちょっと努力をしていた。コミュニケーションをお笑い番組で勉強し、ファッション雑誌を読み、流行りの服と髪型にし、部活をテニス部に変える...などなど自分のなかの「イケてない弱さ」を「イケてる強さ」に変える努力。
そしてそれは結果としてある程度成功したと思う。1年の頃から友達に恵まれ、とても良い時間を過ごしていた。
そしたら次は恋愛。これも(挫折をへながらも)成功。僕は大好きな彼女と人生初めての恋愛を謳歌していた。
勉強と部活は適当に、親友と彼女に全力を傾けて思春期を過ごしていた。
気づけば大学入試。
青春真っ只中の僕にとって進路なんてものは正直言ってどうでも良かった。そこそこ成績の良かった僕は努力から逃げて、指定校推薦を使うことにする。
5.大学受験!心理学との出会い
「偏差値なんて気にしててもしょうがないし、学部で決めるか。経営学部、経済学部、法学部、文学部、... 心理学部!これなら面白そう!」
これが初めての「心理学」という言葉との出会いだった。
「心理学部 臨床心理学科」と書いてあったので、本屋さんに行って「心理学」と「臨床心理学」の本を手に取ってみた。
その本に書いてあったことは、僕の興味があることしかなかった。大人嫌い、いじめ、友情、恋愛...全てに使えるもののように感じた。
無事に入学でき、大学の授業を受ける。
それは予想通り最高に楽しい授業だった。大学ではあまり友達に恵まれず...一番前で授業を受けて、テスト勉強をほとんどせずに、一番良い成績を取るような学生生活だった。
大学一年生。心理学とカウンセリングを学ぶことは、僕の知的好奇心を満たしてくれていた。
6.大学2年の夏。「救えない」という挫折
就職氷河期と呼ばれる時代に、偏差値の低い大学に入学したことのヤバさには後から気づいたけど、勉強、アルバイト(ファミレスの接客)、恋愛、友情...僕の人生は非常に充実していた。
そしてある日いきなりくる挫折。
僕の大切な人が犯罪に巻き込まれた。
(詳しくは当人のプライバシーのために書けない。)
今日まで、「授業がつまらない」とか「バイトがだるい」とかそんな悩みしかなかった当人がある日いきなり「死にたい」と感じるような変化だった。
やり場のない怒り、消せない事実、今後の恐怖、無力感...いろんなことを感じているようだった。
それを聞いた僕は衝撃のあまり打ちひしがれた。
でもどこか冷静な自分もいて、
「この件に関して直接会ったり、電話で悩みを聞けるのは自分しかいない!」
「今こそ心理学の力を使う時だ」
「カウンセリングを生かす時だ」
とも思っていた。
僕の初めてのカウンセリングが始まった。大切な人を背負った、人生の大勝負のような感覚だった。
...結果は惨敗。
僕はその人を救うことはできなかった。
僕が聞けば聞くほど、僕は傷つき、形として被害者になってしまう。本来事件の被害者である当人を僕が被害者になることで、加害者にしてしまう。
当人の人生を考えれば考えるほど、僕は話を聞くべきではなかった。
そして最後の思いやりが連絡を無視することだった。
大学2年の夏。夜の空を見上げながら、自分の無力さに泣いた。
7.夢
僕はその挫折から目をそらした。僕の心を守るために。
そして、その感情を発散するために願望を抱いた。
「目の前にどんな悩みを持っている人がいても、笑顔にできる力が欲しい。」
つまり、カウンセリングを突き詰めることだった。
大学の授業だけでは満足できず、本屋に向かった。そこには心理学、カウンセリング、コーチング、自己啓発、人生論、成功哲学、ビジネス、エッセイ、スピリチュアル...心に関係していることがたくさんあった。全てをとにかく知りたかった。何かを学んでいたかった。
大学の授業、ブックオフ、図書館を往復する毎日。
何かの文章を読んで、知識を増やしていなければ、そのことを思い出して気が狂いそうだった。
最初は「全ての犯罪者を殺す!」みたいなことしか考えられなかったけれど、いろんなことを学ぶに連れて、犯罪者(加害者)もまた被害者であることを知った。
幼少期や思春期に心が歪むような現実に直面して、犯罪を犯す。
それなら犯罪を犯すこと自体もまた悲鳴。
カウンセラーが増えて、世の中の病んでいる人、悩んでいる人の悩みを聞いて心を支えたり、解決できたら犯罪は起きないじゃないかと。
そして夢を抱いた。
「資格を持ってクリニックや精神科などで待っているカウンセラーではなく、自分は社会にポツンといて悩みを聞きまくる人になろう。そしてそんなカウンセラーを増やせば...いつか必ず、犯罪も、自殺も起きない社会になる。」
大学3年が終わる頃には、命をかけるようなものが見つかった気がしていた。
8.24歳!「夢を現実にする!」という決断
僕は大学を卒業し、サラリーマンを2年弱ほど経験してから、24歳で独立していた。
いろいろ考えた結果、起業するその内容は(猫カフェ、文房具カフェみたいな感じで)「夢を応援するカフェ」にした。
飲み物や料理ではなく、悩み相談と夢の応援(つまり、カウンセリングとコーチング)を価値とするカフェ。でも料金は飲食代だけ。
いろいろ考えた結果、立地はJR千葉駅(自分の地元)から栄えてない方に7分歩いた雑居ビルの2階にした。
準備期間はなんだか不思議な気持ちとともに、誇らしさと充実感を感じていた。
「夢だったものが、形になっていく。
毎日の日常が夢見てた世界になっていく。
自分は夢を生きている!!」
そして真冬の2月の大雪の日に、夢を応援するカフェはオープンした。
9.夢を生きて、挫折する。そして痛感する覚悟不足。
オープンしたての頃は1週間に1人しかお客さんは来ず。
親友には「これはビジネスではなく、お前の趣味だ」と言われた。
それに全く反論ができないような火の車経営だった。
今まであった毎月決まった給料がない。
売上、収入が抜本的に改善する見込みもない。
なのに、飲食の仕入れ、光熱費、テナント等の支払い、携帯電話やクレジットカードの支払いはある。
...夢に変わった現実は、見たくないものばかりになった。
毎日が不安と恐怖。
自由を求めていたけど、誰も助けてくれない。
自分で人生を作りたかったけど、レールを敷かれていないことが辛すぎる。
自己啓発本に書いているような、
「やりたいことで生きていく」
「好きなことで成功する」
「楽しいからこそ続けられる」
という言葉が急に無責任に思えた。現実は怖い。
「やばい。夢を追いかけることを完全に舐めていた。」
覚悟不足を痛感した。
10.挫折の中で得たもの
夢に生きる幸福感の代償と戦いながら毎日を過ごして3ヶ月を過ごした。
どうにかこうにか、カフェは連日満席になるようになった。
蓋を開けてみれば、自転車操業ながらもどうにかなり、大きなトラブルもなく、「生活をしていくだけならなんとか...」の所まで日常は進んでいく。
毎日がたくさんの人との出会い。
知人の紹介で訪れてくれる高校生、大学生、社会人たちとの出会いは一人一人との関係が宝物だった。
...結局、最初の1年間で2500回を超える相談に乗った。
お客さんが増えれば増えるほど相談業務が忙しくなり「夢を応援するカフェ」の飲食の部分が邪魔になり、1年を節目に相談業だけでやっていくことにした。(お店は人に任せた。)
カフェから離れた僕は、カウンセリング、コーチングに圧倒的な自信を持っていた。
その自信とアイデアで僕はその後も夢を追いかけ続ける。
「やりたいことは学生の頃に決めている。あとはやるだけ。どれだけ傷ついてもそれは変わらない。」
・親友と会社を起業。
・最愛の彼女に無貯金無収入でプロポーズ。
・自分だけのビジネスを立ち上げる。
・ビジネスパートナーやお弟子さんとの出会い。
・妻の妊娠。
思い返せばノンストップで夢を追いかけていた。
夢を追いかける1日は感覚的には2秒で終わり、1年も感覚的には2週間くらいで過ぎ去っていく。
毎日繰り返されるたくさんの挫折と少しの成功...その中で僕は何を得たのだろう?
きっと僕が得たものは、心の強さ、実績、能力なのだと思う。
11.今の話
今では相談業の実力が評価してもらえて、いろんな仕事ができるようになった。
プロスポーツ選手のコーチをやったり
投資家の弟子育成の相談に乗ったり
ビジョンをもった職人のビジネス顧問をやったり
OLの起業相談に乗ったり
学生にビジネスと心理学を教えたり...
今まで10年かけて学びたいことを学び、やりたいことをやってきた。
最近はやるべきことや望まれたことをやるようにしている。
頼まれたことは基本的になんでもこなすように心がけているので、心に関するいろんなことをやっている。
メインの事業は大学の頃に思い描いていた、心理カウンセリングスクールの運営。
詳しくはいつか記載するけど、大学生の頃の僕が学びたかった内容、金額のものを作れた。
12.これからの話。
政治、経済、福祉、医療、テクノロジー...どれを考えても間違いなく、時代はめまぐるしく変わっている。
2030年、もっともっと「こころ」にフォーカスされなければいけない時代だと思う。
こころの価値に気づいたみんなと、その波を一緒に大きくできたら良いなと、やはり大学の頃からの想いは変わらない。
今でも、病気も犯罪も自殺もなくなると信じている。
僕はこれからも心理学を追求し続け、すぐに使える形でみんなにシェアしたいと思う。
学べば学ぶほど「心理学の力って本当にすごい」と驚く。
こころが全ての土台にあるがゆえに、何にでも有効活用できる。
ちゃんとした科学としてこころを理解すると、本当に人生はあっという間に変わる。
理論に乗っ取って心を扱えば、現実はすぐに変わる。
僕と僕の身の回りにいる人は恋愛も友情もビジネスも、人生は粘土みたいに簡単に変化することを知っている。
「目の前の人と向き合うことを大切にしている」という大義名分があり、webは本当に苦手なんだけど(笑)
役立つ情報をnoteにたくさん公開していくので、参考にしてもらえたら嬉しいです。
ここまで読んでくれたあなたと対等な関係で仕事をしたり、心理学について語り合ったり、伝えられる時がくることを願って。
お読みくださりありがとうございました。
奈良輪 侑亮
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