かわいいは最強だぜぃ
忙しい朝はラジオで情報をとるほうが好きな私。
夫が先に起きている日はめざましテレビが流れているが、ほとんど、私のほうが起きる時間が早いので我が家はラジオが流れていることのほうが多い。
今朝は視覚障がい者のホーム転落事故を防ぐためにという特集が組まれており、ゲストに慶應義塾大学の中野泰志先生が出演されていた。
コロナ禍で今年は一度もお目にかかれていない中野先生。
いつも学会へいくと必ず
「奈良さ~ん、中野で~す」
と声をかけてくださる先生。
つくばから一歩外に踏み出すとそこにはこんなに素敵な先生がいるのかと学部時代、感激したことがあった。
そんな素敵な中野先生の声を朝から拝聴できるとあってウキウキな私。
息子と朝ご飯を食べながら
「ほら、中野先生だよ、覚えてる?」
と私が尋ねると
「パパとママのお師匠さん?」
というので
「そう、お師匠さんみたいなすごい先生だよ!」
と私。
そんな話をしていたら懐かしい記憶がよみがえってきた。
それは何の学会だったかあまり覚えていないのだが、息子がまだ保育園児だったころに一緒に学会に連れていったときのことである。
学会中は託児があるので預けているのだが、学会後の懇親会はそうはいかない。
せっかくの機会だからと私は息子を連れてよく学会の懇親会に参加していた。
当然、右を見ても左を見ても子どもを連れて懇親会に参加をしているのは私だけ。
「子どもを連れて参加するなんて非常識!」
と思っていた方もいたのかもしれない。
幸い、私が視覚的、聴覚的に得られる情報はポジティブなものばかりだった。
学会の懇親会といえば、ほとんどが立食形式のビュッフェ。
視覚障害のある私にとっては難易度が高い。
息子はというと、幾度となく学会でビュッフェを経験しているからなのか、いつの間にか私の周りからいなくなり、面倒を見てくれそうな年配の女性陣のグループへ参加。
そこでほしいものをとってもらっていた。笑
その後、おなかいっぱいになると若い女性陣のグループへいき、遊んでもらうのだからすごい社会性だ。笑
そして、遊びあきたころに私のところへ戻ってくる。
「ママ、何か食べたいものある?」
と息子なりに私に気を使ってくれる。
「じゃあ、ケーキとってきて。甘いものが食べたい!」
と息子にリクエスト。
しばらくして、
「奈良さん、はい、ケーキ」
と目の前には慶応の中野先生が・・・?!
えぇぇぇぇ~~~~~
どういうことだ?と一瞬頭の中が真っ白になりつつ、
「ありがとうございます!」
とまずはお礼をする。
すると、中野先生が笑顔で
「息子君がママにケーキもっていってって注文を受けたもんでね」
と付け加える。
あぁ~穴があったら入りたいと思いつつ
こんな親子を穏やかな気持ちで見守ってくださる中野先生はじめ、学会の皆様には本当に感謝してもしきれないと感じた。
こうやって暖かい人々がいたからこそ、子育てしながら辛い大学院時代を乗り越えることができたのだと思う。
子どもがいる=迷惑なこと
と感じる環境しかなかったら、きっと、私は早々に研究を続けることを断念していただろう。
そんなことを思いながら、今朝のラジオを聞いていた。
偉大な中野先生のような先生になれるように、日々精進したいと思う。
それにしても、視覚障がい者のホーム転落事後は他人事ではない。息子からも、
「ママも気を付けてよ!」
と釘を刺された。
きっと、ホームから転落して亡くなった視覚障害者だって気を付けていなかったわけではないと思う。
私は大丈夫ではなく、明日我が身と自分事として捉えてホームを歩くときには気を付けたいと思う。
皆さんもホームなどで視覚障害者を見かけたときにはさりげなく見守っていただけるとありがたい。
あ、この思い出話をラジオを聞きながら息子にしていたら、息子が笑顔で私に
「かわいいは最強だぜぃ」
と万円の笑みで言ったのであった。