モナトリアムがあったからこそ、今がある

こんにちは。弱視難聴の奈良里紗です。

WBCでは本当に有機と元気をもらいましたね。
実は私、少年野球をしていたので、野球大好きなんです。
視力の低下とともに、ボールは見えなくなってしまいましたが、願わくば、息子とキャッチボールがしたかった!というタイプ。

さて、今日はモナトリアムのお話。

最近、ミレニアム生まれのモナトリアムさんたちによく出会います。
私は人より長いことモナトリアムを経験していたように思います。

マジョリティが歩む道と異なる道を歩むこと、それはひどくおそろしく、いけないことにように感じるもので。

たぶん、マジョリティと同じ道を選んだほうがそのときは楽だったんじゃないかなと思うのです。

でも、それは一時的なもので、30代、40代になってから後悔としてひびいてくるかもしれないし、そうはならないかもしれない。これは誰にもわからない。だからこそ、踏み出せない。

自分が親になってみて、やっぱり、こどもには苦労してほしくない、そう思う。
だから、不透明な道より、より透明度の高い道を示したくなる。
親にだってわからないこどもの道、それをこどもが切り開くのだから、それはそれは有機がいるもの。

モナトリアムという長いなが~いトンネルをぬけて今がある私。
まわりは就職して、きちんと社会人になっていく中で自分だけはいつまでも学生だったわけで、表向きはニコニコしていても、内心ではもちろん焦っていた。

早く就職しなきゃ、
早く一人前の大人にならなきゃ、
いつまでも学生なんてしてちゃだめなんだ!と。

ありがたいことに、私のまわりには私がいつまでも学生であることを否定する人はそれほど多くなく、いや、いたのかもしれないけど、そういう人とはかかわらないようにしていたのかもしれない。

みんなとおなじ道を歩まなかったからこそ、今がある。

親や友達や周囲の人からあれこれいわれても、
自分がやりたいと思うことがあるならば、
目指す未来があるならば、
成し遂げたいことがあるならば、
そうした周囲の圧力に負けずに、自分軸を大切にしてほしいと思う。

人と違う道を選ぶことは恥ずかしいことでも、いけないことでも、だめなことでもない。
大勢他者の声ではなく、自分の声に耳を傾けてみてほしい。

卒業シーズン、モナトリアムな君へ、
君ならできる、自分を信じて!


サポートのお願い
モナトリアムトンネルを通過した私は今でも夢をおいかけています。
日本の教育をもっとよくしたい、先生たちが生きがいをもって働ける環境を作りたい、パパママが笑顔で子育てできる社会を作りたい、こどもたちの学ぶ機会が侵害されない社会をつくりたい、壮大な夢をもって今日も研究に励んでいます。私のそんな壮大な夢をサポートしてもいいよ!という方は、記事を購入くださるとうれしいです。
皆様からのサポートが励みになります。パワーの源って、こういう応援してくれる方の存在なんだよなーと。いつも応援してくださる方に心から感謝しております。また、記事購入でなくとも、スキや記事のシェアなどでもうれしいので可能な範囲でご協力をお願いします。

最後に、記事を購入してくださった方へのお礼をかねて、おまけです。

ここから先は

1,126字

¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?