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眼が使えないもどかしさ
楽しく、カジュアルに、弱視難聴の日々を発信しております奈良里紗です。
視覚障害がある私は、日常的にそれほどストレスを感じていないのだけど、
ものすごーくストレスを感じるときもあって。
それは、書類を作っているとき。
内容のテキストはほとんど一人で書けるから問題ないのだけど、問題は図表。
意外に思うかもしれないけど、私は結構、ものごとを可視化するのが好き。
脳内にあるイメージをホワイトボートとかに書き出して、視覚的にわかりやすくしていくんだけど、これをデジタル化するときが多変。
そのときには、自分ひとりじゃできないので、見える人の支援が必要。
合理的配慮で支援者がついているからいいじゃないと思うかもしれない。
もちろん、支援者がついていないとお話にならないので、支援者がいることには官舎しているのだが、
本来、自分の感覚で、ここの線は太くしようとか、ここはこういう図形を使ってとかできるところがすべて言葉を使ってのやりとりになるから、もうそれはそれは大変。
これ、相手のスキルに依存する作業なので、5分で終わる人もいれば、2時間ぐらいかかることも。
本来、5分で終わるところ、今日は2時間コースかぁーと思うと・・・ねっ?
もちろん、この2時間かかる人がだめっていいたいわけじゃないんです。
2時間かかる人って、基本、ていねいだし、細かいんですよ。だから、仕事に時間がかかるってだけ。
5分である程度形にできればいいときは、5分のほうがありがたいけど、完成版にするときは、2時間コースの支援者のほうがありがたい。
こういうふうに、障碍者として生きていく上では、様々な依存先をもっておくことが大切。
そして、ここまで環境が整っていても、やっぱり、眼が使えないことへのもどかしさって感じるものなんですよーということを伝えたくて今日は書いてみました。
日頃お世話になっている皆さんには最大限の感謝を!