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ビジネスマン長屋王!

オカネが流通していて、その価値を信じていて、モノが買えて…

この仕組みは「現代」だから、通用するという気分がしますが、実は古代からありました。

平城京があった奈良時代、すでに貨幣が作られ、市場でモノを売り買いするということが実現していたのです。

とはいえ、当時の大半は物々交換だったでしょうし、平城京以外では「オカネ」を見たこともない人が大半だったでしょう。

租庸調という言葉を、学校でならった記憶をお持ちの方もいらっしゃると思います。

当時の税金を表します。

単純に肉体労働や、モノ…それは農作物であったり、織物であったり、というもので、税金をおさめていました。

これは地域性がかんがみられていたようで、その土地の特産が選ばれて収めるようになっていたようです。

古代の書物に『風土記』というものがあります。

現存するオリジナルが少ないのですが、今で言う都道府県の地誌のようなものです。

これを作らせたのは、その土地がどんな土地か、歴史や伝承を残すという文化的な意味よりも、何が取れてどんな大地なのか、というこを知るためだったようです。

こうやって修められた税金は、巡り巡って誰かのものになります。

しかし、反物ばかりあったも困るので、それを売って別のものを誂える必要がありました。

現在かつての平城京の「市」が「このへんにあったよ」ということで、残されています。

売りたいものと買いたいものがある。

そのなかだちをしてくれたのは、オカネでした。

平城京は商業都市だったのです。

オカネをさわっていたのは、庶民だけではありません。

大貴族も積極的にこの商業に関わっていました。

その代表が長屋王です。

長屋王は、大仏さんを作った聖武天皇の時代に高位にのぼり、天皇の補佐、兄貴分、年長の頼れるパイセンでした。

しかし、聖武天皇の息子が幼くして死去したことで、「その子が死んだのは、長屋王が呪ったのだ!」という疑惑をかけられ死に追いやられます。

長屋王の奥さんは、聖武天皇の父の妹という高貴な身分でしたが、一緒に死ぬという悲惨な最期でした。

長屋王は、奈良時代を代表する悲劇のひと。

濡れ衣によって殺された惨劇の代表…のように語られ、もちろんその文脈は正しいのですが、彼を「悲劇のひと」だけで片付けるよのはもったいないのです。

そう、彼のもう一つの顔は「経営者」

長屋王コンツェルンの代表であり、総帥。

生産から販売まで、一手に担った平城京一番の大経営者です。

ビジネスマンとしての長屋王の手腕は、全国に鳴り響いていたはずです。

そう、当時の海外の窓口である九州にまで支店を置き、その配下ではいったい何人の部下がいたことか(^o^)

さらに、稼いだお金を遊興に使ったりなど…そんなことはできるビジネスマンはしません。

彼の稼ぎはさらなる富を生む…そう投資をしていたのです。

ビジネスマン長屋王の手腕と、それを可能にした平城京のお話を東京でやります。

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【日時】2023年7月16日(日)

13時受付
13時30スタート 15時ころまでお話をして、そのあと東京国立博物館へ移動して、当時の「お金」を見学します。17時頃トーハクで終了予定

【参加費】5000円(飲み物つき)

【場所】JR新橋駅 徒歩数分のカフェ

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