衝撃!奈良県がない時があった!
奈良県が一時消滅していた!という衝撃的なことをご存知でしょうか?
「奈良県」の名が初めて登場するのは、慶応4(1868)年5月19日のことです。
当時は江戸時代が終わって、明治新政府の時代。
新政府は戊辰戦争に勝利したあと、「鎮台」と呼ばれる監督機関を配置しました。
奈良にもこの鎮台がやってきて、奈良の管理をしていたのです。
その後、鎮台は廃止。奈良県が設置されました。
明治4年(1871年)7月、廃藩置県が行われます。
同年11月に奈良県が誕生。
しかし5年後の明治9年(1876年)4月、奈良県は堺県に統合されてしまうのです!
堺県というのがわりと重要で、当時の奈良がどんな経済圏をもっていたのか。
堺という土地とと水運を通じてつながり、一緒になる要素が多かったのだと想像すると、色々面白いのですが、ともかく奈良県は消えてしまったのです。
そうこうしている間に、堺県も大阪府に統合!
結果奈良県は大きな「大阪府」の一部になってしまい、奈良というエリアの教育や治水や経済的な振興はないがしろにされる結果となったのです。
大阪府という大きな体の中で、脳や心臓ばかりが手厚くされ、末端神経は軽んじられる、みたいな感じでしょうか。
これではいかん!
奈良エリアに住む人達の未来はどうなるんだ!
ということで、奈良県再設置のために沢山の方々の御努力がありました。
当時大阪府会(大阪の府議会)に選出された奈良エリアの議員さんがこぞって国に陳情を重ね、明治20年(1887年)11月4日に再設置が認められたのです。
奈良県の再誕生です。
奈良県は歴史にあふれ、寺社仏閣が豊富で、古代の遺産も沢山。
その多くが、携わる方のご努力で今日まで保たれていますが、それらを抱える「奈良県」というもの。
あって当然という感じですが、実は当然ではなかった。
奈良県が奈良県であること、そこにもたゆまぬ努力があったのです。