あらたに御仏と出会えた写真展
奈良県立美術館にて『特別展 小川晴暘と飛鳥園 100年の旅』
2024年4月20日(土)~6月23日(日)
開催中です。
奈良には飛鳥園という仏像専門の写真館があります。
飛鳥園の創設者であり、良を中心に各地の仏像を撮った写真家が小川晴暘(おがわ・せいよう 1894-1960)です。
飛鳥園創立100年を記念して行われている大規模な展覧会です。
仏像の写真といえば飛鳥園!
と思うくらい有名なところなので、パンフレットや図版で一度や二度見たことのあるものばかり。
この展覧会がとてもとても良かったのです。
大きな写真で見つめるみほとけ
今回の展覧会の写真は、どれもとても大きなサイズで展示されていました。
仏像の多くは薄暗いお堂の中にいらっしゃったりするので、よく見えなかったり、遠いために確認しにくいことも多いです。
しかし最高の写真技術で細部を捕らえ、それが大きく展示されているので「ふだん見えていないものがよく見える」のです。
仏様がアクセサリーをつけているのは知っていたけれど、こんなところまで模様があったの…?
仏様が衣装にこんな模様があったの…?
この指先の爪まで表現されていることはしっていたけれど、爪の手前の肉の盛り上がりがこんな風に表現されていたの…?
と、知っているつもり、見ているつもりだった場所のなんと多いことか!
たくさんの御仏に出会ってきたつもりでしたけど、見ただけ、知っているだけ。理解していたわけではないのだと思い知りました。
どのお寺の仏像も、その時代の最高の技術で、最高の手厚さでもって作られているのです。
それにちっとも気づいていなかった。
古代の人の凄さに、その技術力に、丁寧な仕事ぶりに至近距離に近づけるのです。
新薬師寺 伐折羅大将さま
切手にもなっていることで有名な伐折羅大将。
この方のくわっとした表情はそれこそ何十回も拝観してますし、その迫力も十分に知っているつもりでした。
でも写真におさめられた伐折羅大将の口を見て、こんなきちっと歯ががそろっていて、口の中まで驚くべき造形だったのことに初めて気が付きました。
奈良時代の塑像(土でできた仏像)の口の中までこだわって造仏していたのですよ…
そして「目」。
鎌倉時代くらいから「玉眼」といって、ガラス玉をしこんで本物の瞳っぽく見せる技術が出てきます。
それ以前の仏像は、単に瞳を黒く塗るだけだったりの素朴なもの。
だんぜん玉眼のほうが魂が入っているように思っていたのですが、それは「新しい時代の技術のほうが、瞳らしく見える」という思い込みだったのかもしれません。
伐折羅大将の瞳は、漆黒で反射した光が一点だけ白く光っています。
それがなんとも力強く、これまで知らなかった「強い目」でした。
こんなにすごい瞳だったのに、何回も見てきたのに、今日初めてその威力に気付いたというか…
そしたらこれまで以上にその憤怒の表情、爆発的な怒りのような雰囲気、奈良時代の吠えるような迫力が浮かび上がってきたのです。
法華堂 不空羂索観音さま
東大寺 法華堂の不空羂索観音さま。
東大寺の中で最も古い仏として崇められ、これまで何度も拝観してきました。
このお堂の御仏はどの方もとても大きく、すべて国宝指定される重鎮ばかりで、堂内でたたずむだけで、なんともいえない安らぎを与えてくれるところ。
その中心におわす不空羂索観音さまは、きらびやかな光背を背負っていることで有名なのですが、今回その模様が二段階になっているのを初めて知りました。
まず、区切られた枠の中で唐草文様のように華麗に描かれた花模様、そしてそれを縁取る火炎のような模様です。
光背の模様が細い透かし彫りのような細工になっていて、その影がまた美しいのですけど、その模様ひとつひとつの華麗さ。そして火炎のようなデザインも合わさっていたとは…
ほんとに光背の存在を知っていたの?
と自分に問いかけたいくらいです。
不空羂索観音さまは手に蕾の花をもっていらして、この花をかかげた横顔がとてもうるわしく大好きなのですが、今回この蕾の花弁にさらに花が描かれているのを知りました…
花IN花だったの!?
さらに、宝冠と髪の毛の接点のところに、石でできた数珠のように見える飾りがあることも知りました。
宝冠には複数の宝石がついていて、それは知っていたし中には古代の勾玉もあって憧れの冠でしたが、その真下にそんな石の飾りもあったなんて…
ほぼ見ているようで、見ていなかったのです。
法隆寺 釈迦如来さま
法隆寺の御本尊は釈迦三尊像。
聖徳太子さまその人を刻んだと伝わるお像です。
こちらのお釈迦様は飛鳥時代。
アルカイック・スマイルと呼ばれるほほえみをたたえ、顔は面長で、仏像の様式を学んだ人には教科書的な存在です。
好きな聖人は?と聴かれたら「聖徳太子さま」と答えるくらい聖徳太子さまが好きで、法隆寺ももう数え切れないくらい行っているのですが…
写真に映るお釈迦様は、思っていた以上にゆるやかな笑みを浮かべていて
「あ、ほんとに飛鳥時代の人だったんだ」
というゆるぎない感想が出ました。
正直、飛鳥時代の人があんな面長と思えなかったし、目のふくらみも現実離れしているし。
でも、あのほほえみ。
鷹揚に豊かに笑うお顔が、聖徳太子さま自身の優しさ、鷹揚さ、ゆったり下感じに見えたのです。
これまでお堂では一度も出なかった感想でした。
そして、釈迦如来さまのおでこから、1本の短い針金のような?なにかが飛び出しているのも見えました。
如来には白毫といって、白く長い毛が渦巻いた状態でつくものですが、それはたとえば石などで表現されることがあります。
もしかして過去になにかついていたけれど、それが取れた痕なのかもしれません。
それとも昔はほんとに毛が渦巻く状態だったけれど、ちぎれてしまったのか…
どちらにしても、おでこにそんな痕があるのも初めての発見だったのです。
薄暗いお堂では見づらいものですけど、でもぜんぜんじっくり見ていたなかったのだと、気付かされたわけです。
新しい出会いと再会と
写真家には、独特の切り口があって、ライトを当てる方向、どこから見るか、どの角度を重視するか、で色々変わってきます。
特に拝観の場合は参拝者が立つ場所は決められているので、脚立を使って高い場所から挑んだり、入れない後ろから斜めのアングルを切り取ったりすることは、一般の人には見たくても見れない視点です。
でもそうやって編み出された写真は、これまで知り得なかった御仏の新しい魅力を教えてくれます。
室生寺の十二神将のうち、申神はまさにこの良さを結集したような素晴らしさでした。
構えた矢をななめに見透かす神将の眼差しを、上のほうから捕らえ、その髪の躍動感、頭に乗せている動物とのかわいらしい一体感、そしてぎゅっとつむった片目がかつてない神将の良さを引き出しています。
これまで室生寺さんの十二神将は、ちょっとアンニュイなお顔をしてい未神が一番好きでしたが、申神の良さが再発見できました。
きっとほかの神将も、今得ているイメージとは違う良さがあるのでしょう。
こういう新しい気付きも与えてくれる展示です。
この写真を見たら、実際のお寺の御仏に会いに出かけたくなるし、実際に出かけたことがある方は、さらに楽しめる。そんな展覧会でした。
ぜひお運び下さい。