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とことん話し合えばいいじゃないか #人生で一番古い記憶

おはようございます。
noters末っ子、松田直人です。

今回のテーマは、#人生で一番古い記憶 ということで、最年少の僕が一番思い出しやすいのだろうと思っていました。
しかし、これがいざ考えてみると、全く思い出せないのです。

明確に「何歳の時にこれが起きた!」と言えるのは小学生になってからだと思います。
それ以前の記憶は曖昧で、ふわっとしてる記憶しているものが3歳なのか、4歳なのか、それとも5歳なのか覚えていません。

つまり、3-5歳の時系列がめちゃくちゃになっているので、厳密に一番古い記憶は分かりません。
そのなかでも、今思い返すと面白かったなと思う記憶を掘り起こしてみたいと思います。

たった一度の大喧嘩

僕の母親は旅行が大好きです。
そのおかげで小さい頃から頻繁に旅行していた記憶があります。
さらに、おじいちゃんも毎年恒例のように、僕たちの家族と従姉妹の家族を引き連れて旅行に連れて行ってくれていました。

とはいっても、正直3歳や4歳の子どもの記憶にはなかなか残らないものです。
「楽しい!」という記憶は残っていても、出来事やどこに行ったのかまでは、なかなか覚えていないです。

でも、一番古い記憶を思い出すと、ふと思い出された旅行の思い出がありました。

多分4歳か5歳くらいだった僕と、一つ年齢が下の従姉妹と大喧嘩をしたことがありました。内容もあまり覚えてないのですが、後にも先にも従姉妹と喧嘩した記憶がないので、激しく言い合いをしたことは頭の中に刻まれています。

思い出せる範囲の中で書いていくと…

温泉旅行の夕飯時に、僕と従姉妹2人でレストラン自分の部屋に何かを取りに戻ろうとしました。
おそらく大した距離でもなかったので親も2人で行かせたのだろうと思います。
部屋から出てレストランに戻ろうとしたときに喧嘩をした記憶があります。
原因は、「部屋の鍵をかけるべきか」みたいなことだったと思います。
喧嘩内容はあまり覚えていないので、大したものではなかったのだと思います。

僕が覚えていることは、喧嘩したときに、僕と従姉妹がお互いが主張し合ったことです。
「鍵をかけるべきか」みたいなことで揉めたのですが、おそらく「実際にどうするのか」というのは大人からするとどっちでもいいことなのだと思います。
しかし、僕と従姉妹の喧嘩の原因は、“自分の中には間違いないと思う答えがあるけれど、それが相手とは違うものだったこと”だと思います。

例えば「鍵をかけるべきか」という事例に関しては、僕は5歳ながらに鍵はかけるべきだと強く信じていたのだと思います。それに対して従姉妹は鍵はかけずに一度レストランに戻って親に聞くべきだと強く信じていたのだと思います。

多分どちらも間違っていないだと思います。
でも、当時の僕は、「なぜ従姉妹はそんな訳の分からない考えになるんだろう。幼稚園で教えられているじゃないか!」と思いました。

そのときに僕と従姉妹のお互いが言い放った言葉を覚えています。

「○○組では、こうやって習ってるんだよ!」
「○○組だったら、こうなんだよ!」

お互いに自分が行っている幼稚園の組の名前を出して、泣きながら自分の主張を訴えていました。
この平行線の喧嘩は、あまりにも時間がかかっていることに不安を感じた親が部屋まで来て、解決したという記憶があります。

当時はそのようなことを考えてはいませんが、そのときに初めて自分の考えが他者とは違うということを身を持って体験したのだと思います。

従姉妹と大泣きをしながら、自分が正しいと主張し合ったこと…それが僕の中で今でも記憶に残っている出来事でした。

違うと理解すること

僕が経験したことは、誰にでも同じようなエピソードがあると思います。
子供に限らずいい歳をした大人だって、絶対自分が正しいと思って激しい口論になることがあります。

ただ大人になるにつれて、減ってくるものでもあると思います。
少なくとも鍵をかけるべきかどうかで、自分の主張を全面に出し合って大喧嘩になるということはないでしょう。

それはなぜか??

自分が目の前に対峙している相手は自分とは違うとは認識しているからだと思います。

同じ人間だ、同じ環境にいる、同じ価値観を持ってると思うから自分と違うことがあると腹が立つし、ムカつくのです。
大人になるにつれて、これは頭で理解して、冷静に話し合いができるようになります。

ただ、22歳の僕でも生きていれば腹が立つことはたくさんあるし、誰かと言い合いになることもあります。
そのときに、大切なことは、やはり自分は相手と違うんだということをしっかり認識しておくことだと思います。

最後に、僕が好きなドラマのとある一言を紹介します。
“CHANGE”というキムタクが総理大臣になって日本を変えていくドラマです。
10年ほど前に放送されていました。

キムタクが総理大臣になって、忙しい日々に追われているある日、アメリカから輸入拡大の要請がありました。
アメリカから来た大臣は強硬な態度で、キムタクに対して「こちらが提示する輸入拡大を認めないのであれば武力行使も辞さない」と伝えます。
この一方的な無茶苦茶な要求に対して、キムタクは次のように返答します。

「私は日本の総理大臣として国を守る責任があるし、あなたはアメリカの通商大臣として国を守る責任がある。それぞれに立場や言い分がある。だからお互いとことん考えよう。そうすれば…相手と自分は違うんだと言うことに気づく。とことん話し合えば、お互いが納得出来る答えがきっと見つかると思う。」

当時ドラマを見ていた僕は、子供ながらにこの言葉に感動した記憶があります。
どんなことがあっても、話し合えば分かり合えると小学校では教えられた気がします。

とことん話し合えば、向き合えば、分かり合えるのではなく、相手と違うことに気付ける。

綺麗事でも、諦めでもなく、これが本質なんだろうと感じます。
改めて今後もあらゆる人間関係の中で、この考えは忘れずに過ごしていきたいと思います。

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