大病体験記 第4章「そこに在る」01
雨がちな日々。
水を得て彩を増す紫陽花。
雨男を自任する彼にとって6月は、じめじめした陰鬱な印象ではなく、地に潤いをもたらす恵みの月だった。
保育園を退職した彼は、梅雨の期間に、多くの「中小企業支援専門家募集」にエントリーし、「中小企業支援施策説明会」に足を運んだ。
自社「合同会社それがし」の受注を求めて。
「会社経営者」というと聞こえはいいが、受注がなければ無職と何ら変わりない。
1年前の無職期との違いは、失業保険という免罪符がないことだ。
仕事を取ってきて、自分に「役員報酬」を出さない事には、家計に1円も入れられない。
その時点での家計の懐具合は、入院・手術をしたことによる民間医療保険の入金等もあって、切り詰めれば向こう1年は彼の稼ぎがなくても何とかなりそうだったが、「貯金がどんどん目減りしていく」という状況は、精神衛生上あまり好ましいものではなかった。
そして何より、家族の突然の病気などに備え、いくばくかの蓄えは欲しい。
3月、4月の妻の乳がん再検査の際は、本当に胸が締め付けられた。
妻は気丈に笑っていたが、彼女の母である義母が3年前にがんに侵された際の彼女の狼狽ぶりを見ている彼には、その気丈さが自分への思いやりであることが手に取るように分かった。
義母のがんは切除・寛解し、今は元気を取り戻しているが、10年前にまだ若い義父を難病で看取った妻には、「母も失うかもしれない」という恐怖は耐え難かったのだろう。
妻の不安をくみ取り、励まし、共に乗り越えていくためには、やはり、一緒に暮らしていることが最善だった。
再検査の結果は、「経過観察」だった。
一安心できたのは、即刻あちこちに転移するような悪性の腫瘍ではなさそうだ、という事だった。
だが、乳腺の石灰化の状況は、毎年チェックし、がんが疑われるようなら乳房の切除もあり得る。
引き続き、毎年の検査の際には、妻を励まし、安心させてやる必要がありそうだ。
彼自身の経験からも言えることだが、病気は、いつ家族に降りかかるかわからない。
40代後半を迎えた男女なら、なおさらだ。
悲観的に生活を自重する必要はないが、心とお金に準備はしておくに越したことはない。
そういった状況の中、7月に入って、「中小企業支援専門家」としての彼に白羽の矢が立った。
声をかけてくれたのは、またまた役所時代の先輩、Oさん。
出世には繋がらなかった彼の仕事ぶりだったが、先輩諸氏の心証は、割と良かったようだ。
9月から仕事をもらえることになり、自身に役員報酬も出せることになった。