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大病体験記 第3章「無より転じて」06(第3章最終話)

 4月から小学生となる子どもたちを送り出す卒園式を終えた3月末、彼はT園長に退職したい旨を伝えた。
 近所の公園に咲き誇る桜を、穏やかな夕日が照らした、暖かい午後だった。
 T園長は、大した戦力にもならぬまま1年足らずで退職を申し出た年上の部下に、「家族を大切にしてください」と言葉をかけてくれた。
 年度が替わり、人事、昇給、補助金関連などの業務が集中する4月に退職するのはさすがに迷惑をかけ過ぎる。
 退職日は、5月末と決まった。

 3か月に1度通っていた術後検診の際、執刀してくれたS医師にもその旨を告げる。
「そりゃ、自宅に戻られた方が家族もご安心でしょう。
 術後の経過は良好ですが、引き続き食事や運動には気を付けてください。
 O市の病院は、あ、ここですね。
 紹介状と脳の画像を収録したCDを準備しておきますよ。」
 とても物分かりが良く、優しく、腕もいい、素晴らしい先生だ。
 彼はずっとS医師に主治医でいて欲しいと思ったが、O市に帰る段となっては、それは無理な話だった。

 単身アパートの解約や退職に当たっての各種手続きなどは、保育園での自分の仕事であったため、滞りなく進めることができた。
 そして5月の全スタッフが集まった月例ミーティングで、退職を告げる。
 門外漢を気持ちよく受け入れてくれた仲間たちに、滑舌の悪い語り口で長々と話をするのが嫌だった彼は、素直な気持ちを6分程度の動画にし、上映した。
 退職理由、今の心持ち、スタッフへのメッセージなどを、端的にまとめた。
 スタッフは静かに視聴してくれ、「ありがとうございました」の言葉をくれた。

 退職間際というのは、引越しと後片付けを期日前に済ませておかなければいけないことから、ぎりぎりまで勤務するというのが難しい。彼は10日弱、有給休暇を使わせてもらい、引越し準備をすることにしていた。
 勤務最終日の午後、数名に保育士に呼ばれ、2階の保育室に上がると、先生と子どもたちが、彼のためにささやかな「お別れ会」を開いてくれた。
 普段はしっかり者の4歳児クラスのR君が、別れを惜しんで泣いてくれた。
 みんなでお歌を歌ってくれ、色紙までもらった。

 前の職場はそれほどエモーショナルな雰囲気ではなく、しかも4年という短い勤続期間だったため、退職時に大きな感慨はなかった。
 それが、今回は。
 1年弱の勤務、しかも約2か月病気で離脱してしまった「保育の素人」に対し、これほど手厚い惜別をくれる。
 出会いと別れを毎年繰り返してきた保育園が持つ「優しさ」が胸に迫った。

 5月下旬、彼は引っ越しを終え、O市へと戻った。

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