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大病体験記 第4章「そこに在る」07
その日彼は、知人のSNSで見かけた見事な枝垂れ桜を撮影するため、小一時間ほど車を走らせた。
O先輩にもらった委託契約が3月で満了し、また「ほぼ無職」な状態に陥った彼はその頃、セミナーや説明会参加などの受注拡大活動以外に、中小企業に役立つ公的支援政策に関する情報収集、ブログ制作、動画制作、SNSなどに挑戦していた。
思えばこれまで、彼は組織内部での仕事や少数のクライアントとの直接折衝が多く、「情報発信」という事をほとんどやってこなかった。
政策情報のPRには、「どの広報媒体を使う」「広告業者の制作物案にOKを出す」など間接的には関わったが、自身で情報発信力を発揮したことは、残念ながら、なかった。
財団を辞してこの方、先輩方の厚情にすがらなければ仕事を得られなかった彼は身に沁みて自覚していた。
「受注は、こちらから何度も声を出して取りに行かないと、一件も来ない。」
これまで、どれだけ組織の信用力に支えられてきたのかは、組織を抜けてみて初めて知る事になる。
サラリーマンが、自分の実力だけで仕事をしてきたと考えるのは、いささか傲慢だ。
そんな気持もあり、彼は数か月前から、情報発信を志した。
仕事に使えるお役立ち情報だけでなく、失業体験、会社設立の体験、そして病気の体験などを、取り留めなく綴った。
自分の声を、自分の力で社会に届ける訓練をしていこう。
今のところ、読者は、ゼロだ。
だが彼に焦りはなかった。
これから、何度でも試行錯誤すればいい。
枝垂れ桜の観賞は、写真付きの紀行文を書いてみるという彼の新たな試みだった。
4月初頭の晴天。ドライブは気持ちよく、あっという間に目的地に着いた。
お目当ての古木の通称は、「墓守の枝垂れ桜」。
厳粛というか、おどろおどろしい銘だ。
しばし道に迷いながら、古木を探す。
数十分の後、、、
あぁ、、、
彼は、嘆息した。
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それは墓標を包み込むように立ち、地に満開の菜の花を配していた。
その場所は、色彩とは対照的に、しんと澄んだ空気を醸していた。
古木は、自分から主張している、という印象ではなかった。
ただ静かで、清々しかった。
高潔に、その場で、そうあり続ける。
そよ風の香りも、まばらに聞こえる鳥のさえずりも、然り。
それらを愛で集まる人間の興味関心や感傷とは全く異なる位相で、その場は淡々と時の流れに溶け込んでいた。
桜は、盛りが短い。
無常を尊ぶ日本人が愛するのも納得だ。
そして、多くの桜が群生している場所が、「花見スポット」として美しいとされる。
だが彼は、墓守の枝垂れ桜を眺めながら、身に染みて得心した。
墓守の枝垂れ桜に、教えられた。
盛りなど、関係ない。
自分らしく、そこに在ること。
その日々こそが、場を深め、趣を醸す。
群れる必要など、ない。
今度、花など全く関係ない時期に、立ち寄ってみよう。
おそらく古木は、何も変わらず、彼を迎えてくれるだろう。
「自分も、こんな風にありたいものだな」
再訪を近い、彼はその場を後にした。