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[エッセイ12]地域機能の維持

ども、ならなすおです。
今回は、エッセイ「地域機能の維持」です。
 
私は、九州の田舎の県ですが、県庁所在地の中心街近辺に住んでいます。
結構人通り、車通り、多いです。
そんな地域のガソリンスタンドが、最近、潰れてしまいました。
 
ところで、恥ずかしながら私、セルフでガソリンを入れたくないんです。
・・・どきどきします。
ガソリンがこぼれたら?手順を誤ったら?
セルフで入れるくらいなら、500円程度なら多めに払っても構わない、とまで思います。
臆病で、面倒くさがりです。
潰れたガソリンスタンドは、そんな私が利用できる、数少ない店舗でした。
中心駅から、車で3分程度。
朝の早い時間から夜は8時半頃まで開いていて、重宝したものです。
 
閉店理由は、おそらく「売上が損益分岐点(その売上高を下回ったら損失発生)を下回ったから」だと思います。
人口減に伴う売上減少があったのでしょう。
昨今のガソリン高騰で、客足が遠のいたのでしょう。
商材、輸送費、人件費、地代など、コストが増大したのでしょう。
 
売る側としては、損失を出す店を延々と開けている訳にはいかないので、閉店は当然です。
しかしながら、買う側にとって、いや、地域社会にとって、ガソリンは月に2度程度どこかで入れざるを得ないものです。
給油場所がなくなるのは、とても都合が悪いです。
個人的には、「セルフしかなくなった」などという状況は、全力で避けたいです。
 
そこで、考えました。
残っている店舗がつぶれないためには、どうしたらいいか?
そこまで損失が出ないビジネスモデル。
継続するに値する動機付けのあるビジネスモデル。
 
純粋に、経済合理性のみでシミュレートすると、難しそうです。
人は減る。
当然、地域内の自動車台数も、減る。
電気自動車やハイブリッドの台頭で、給油頻度も減る。
ガソリン価格は、勝手に上げられない。
店舗としては、売上拡大の余地がとても少ないように思われます。
 
しかし、地域のガソリンスタンドがすべて潰れてしまうと、ガソリン車に乗れなくなってしまいます。
これは明らかに、ガソリンスタンド店主の「経営判断」に委ねる問題ではなさそうです。
 
その昔、景気の良かった我が国、我が地域では、「隣町のガソリンスタンドの方が5円安いからあっちで入れる」といった現象がありました。
経済合理性に基づく競争というやつです。
 
現代、環境は、劇的に変化しました。
「安い方を選ぶ」どころか、「一つもなくなる」おそれがあります。

ガソリンスタンドで働く彼女
(AIで生成)


ガソリンスタンドだけでなく、特定の小売店(電気屋さん等)なども閉店が続いています。水道などの公共インフラも、もやは住民の払う水道料だけでは賄えなくなる時代も近いと思います。
 
「風の谷のナウシカ」という映画で言う所の「腐海」みたいなものが、「NeverEnding Story」という映画で言う所の「虚無」(nothing)みたいなものが、どんどん地域を侵食していく、そんな恐怖を覚えます。
 
地域の工夫で、この現象は、打開できるのでしょうか?
 
例えば、徳島県の神山町という町は、地域機能維持の指標を「小学校を維持できる子どもの数」と定め、若い世帯を町に呼び込むため、サテライトオフィス誘致やワーク・イン・レジデンス事業に取り組みました。
その結果、名刺管理ソフトで有名なSansan株式会社のサテライトオフィスなど、多くのITベンチャーがサテライトオフィスを構え、人口の社会増につながっています。

田舎のITサテライトオフィス
パソコンは屋内に置こう! (AIで生成)


こういった事例を、全国で作っていけば!
 
すみません、話の腰を折ります。
私の住む大分県には、18の市町村があります。
その全てで、神山町のような特徴ある取組を実施し、地域機能を維持しうる人口水準を保てるでしょうか?
私の個人的な印象ですが、難しいように思います。
大分県に移住したいと思っていただける方が、人口の自然減(高齢者がなくなるスピード)に対抗できるほど増えるとは思えない。
そんなバラエティに富んだ移住の動機付けを、高齢化して疲弊した地域の自治体が考案・実践できるとは、思えないです。
 
人口が減る以上、衰退は避けられないのだと思います。
その衰退が、「地域操業停止点」(どう頑張っても赤字になってしまう点)とでもいうべきポイントを下回ったとき、地域に何が起きるのか?
 
私は、無策を貫いた「失われた30年」の戦犯の一人として、その苦境を住民として体感しなくてはならないのでしょう。
そこに残された、高齢者となった私たちが、苦悶の声をあげることなく、静かに滅亡に向かう方策を見出すことは、できるのでしょうか?

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