大病体験記 第4章「そこに在る」04
自分を、思う。
自己実現とは、何だろう?
死に臨む事を覚悟したあの日、彼は、温かい「自らの人生の欠片」に触れた気がした。
その時その時を懸命に生きた、日々の記憶に。
それこそが、自己実現の結晶、「自己のアーカイブ」なのではないだろうか?
今この時を、手を抜かずに生きていることが、いつか微笑とともに振り返りうる誇らしいアーカイブとして、心の奥底に自動的に蓄積されていく。
自分を磨き、人を尊重するその日々こそが、自分らしさであり、自己実現なのだろう。
そしてそれは、決して失われることがない。
年齢とともに運動能力を失ってバスケットボールができなくなっても、脳卒中の後遺症で左手に麻痺が残り、ギターが思うように弾けなくなっても、「全盛期の自分」がアーカイブされ、必要な時に思い出し得ることを知った今、彼に寂しさや後悔は微塵もなかった。
自分が自分らしく生きようと願い、行動する限り、自己は自ずから実現している。
もちろん、取組の深さにより、自らの感じ方は変わるだろう。
世間の評価や富の蓄積も、変わってくるのだろう。
しかし、人生の終局では、それはひたすらに優しいアーカイブとして、人を包んでくれるだろう。
アーカイブ。
それは、柔らかな光。
心地よい温かさ。
何者にも侵されず、否定され得ない、自分だけの領域。
人が生きた全ては、そこに優しく、そう、限りなく優しく、降り積もっていく。
日々の努力も。
苦い挫折も。
かけがえのない出会いも。
悲しい別れも。
才能が咲かせた大輪の花も。
咲かずに散った、努力の蕾たちも。
死の淵で、人はそれらに触れる。
優しさでしかない、それらに。
故に、どう生きようが、終局的には全てが是だ。
そう、自分にとっては。
彼は、世に名を成してはいない。
評価もほぼされていない。
だがそれをもって「彼の人生は花開くことはなかった」と断ずることは、できない。
蓄積された無数の体験と、未だに開花を待っているかも知れない蕾たち。
もしかすると、花は、知らず知らずのうちに咲いていたのかも知れない。
それらは、死の淵に立たずとも、いつでも呼び出し得る、自分だけの記録。
あぁ、生き急ぐ若者たちよ。
今君が熱中する「それ」や、追い続ける「それ」や、苦しめる「それ」だけが、君の花なのかどうかは、分からない。
今育てているその蕾だけが、あなたの花なのかどうかは、分からない。
そうとも。
全ては、そこに在る。
のびのびいこう。
人生には、生きる価値がある。