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大病体験記 第2章「死という日常」08(第2章最終話)

ども、ならなすおです。

割と駆け足に、第2章を書き上げました。

発病、手術、入院の記憶は、割と表現できたかな、と思っています。
その他の部分、「駆け足過ぎない?」と思った方もいらっしゃるかと思いますが、第1章の分も含め、後半への伏線として読み進めていただければ幸いです。

ボリューム的にも本話で折り返しな感じですが、残る第3章と第4章は、結構なペースで書いていきたいと思います。
遅くとも9月中には、全話完結する予定です。

それでは、第2章最終話、ご覧ください。


ここから本編


 退院は、お盆の時期と重なった。

 なんだかんだ1か月以上入院していたので、職場は、体力の回復と日常生活のペースを取り戻すための猶予期間を2週間認めてくれた。
 その期間はO市の自宅で家族と過ごすことにした。

 地元に戻ってまず足を運んだのは、「運転免許センター」だった。日常生活に支障がない旨は病院で確認してもらっていたのだが、運転だけは、万が一事故を起こした際に、相手方に申し訳ない。
 センターにて、危険認知、回避行動などの検査を受けて、「運転OKのお墨付き」というほどの代物ではないが、免許証に「安全運転相談終了」の裏書をしてもらった。

 その後、自宅で家事やPC操作などに問題がないことを確認し、翌週にはF市に戻るという週末、退院祝いということで、妻と娘と1泊2日で、天孫降臨の地、神々の里と言われるM県T町の国民宿舎を訪ねた。
 彼は病を得て以来、「家族との時間を前よりも大切にしたい」と思うようになっていた。

 旅行の日は、少し雨がぱらつく曇り空だった。
 現地では、主だった神社や景勝地を巡り、インスタに使えそうな写真も撮影した。
 演劇をやっている娘のために、芸事の神と言われている神社にも参拝した。
 宿舎では、浴場を堪能し、豪華な食事を楽しみ、想像よりはるかに広い部屋に泊まった。
 妻と娘は、「外泊」という非日常が本当に久しぶりだったため、心から楽しんでくれていた。

 O市での日常。
 彼は家族に、それほど裕福な衣食住を提供できてはいなかった。
 賃貸アパートは名目は3DKだが、もともと繁華街に出勤する女性が暮らしやすいように設計された物件らしく、1部屋は明らかに「ウォークイン・クローゼット」の趣だった。そこを無理やり「子供部屋」として使い、息子は大学進学を果たした。
 残る2部屋も一般的な6畳間よりは少し狭く感じられた。風呂も当然、足が延ばせる感じではなく、家族は専らシャワーを使った。

 妻と娘にとって旅行は、直近では、兄が1年前に進学した際、引っ越しを手伝いに行ったのが最後だろう。
 そんな慎ましい暮らしに、妻も、息子も、娘も、不平を漏らさないでくれていた。

 もともと無口な彼と、察するのが上手な妻。
 毎日家で時間は取れるのに、夫婦でじっくりと会話をする機会は、それほど多くはなかった。
 非日常を堪能したその日も、遊び疲れ、少しテレビを見後、全員すぐに眠ってしまった。

 自身の心身の回復につながり、家族の新しい思い出も出来た。
「こんな感じでいいのかな」
 旅行の2日間を振り返り、彼は妻と娘の笑顔を思い起こしていた。

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