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大病体験記 第2章「死という日常」02

 いよいよ勤務開始を明日に控えた6月30日の朝、彼は妻の出勤に合わせて家を出た。
 自分で決めたとはいえ、これから一人暮らし。何となく妻と離れがたく、ぎりぎりまで一緒にいたかった。

 「んじゃ、帰れる週末は帰ってきてね」と明るく振舞う妻と逆方向に歩を進め、JRでF県へと向かった。
 無事に正午過ぎにアパートに到着後、徒歩で通勤経路を確認し、やり残していたテレビ台の組立て、蛍光灯の設置などを済ませる。
「うーん、何か疲れてるなー・・・」
 カチャッとはめるだけの蛍光灯の設置が、やけに重労働に感じた。

 F県初日だから、一杯やろうと思っていたが、どっと疲れが出たのだろう、食欲もほとんどなく、2個入りのサラダ巻きを食べるのが精いっぱいだった。

 翌7月1日。初勤務は、曇り空の金曜日だった。
 T園長に連れられ、保育士、保健師、栄養士、厨房スタッフと、順次挨拶して回る。
 その後、園の業務と、正副園長の役割分担について、簡単なオリエンテーションを受けた。
 法人本部との連絡調整、園の運営方針決定、採用や昇給などの主要人事、対外的な行事への参加などの重要業務は園長、毎月の給与支払いや勤怠管理、経理処理、教具や消耗品の購入、補助金関連事務などのいわゆる雑務を副園長、という整理で今後業務に当たるらしい。
 保育園にはもう一人、保育士のリーダー格が「主任保育士」として勤務のシフト調整、週次、月次の指導案確認、毎日の子どもの出欠確認などの主要業務を担当しており、大きな業務負荷を背負っていた。

 勤務初日はその後、初めての「給食」を食べて、午後はメインバンクや消耗品購入店などの位置確認と公用車の運転を体験した。

 翌日、土曜日。彼は出勤日だった。
 赴任地の保育園は、土曜日も開いており、確定の休業日は日曜日のみ。その他所定の日数の休日をシフト表で調整して決定する、というスタイルだ。

 園長が出張で不在にしていたため、自分で過去資料を検索しながら、自分を含む7月入職者の社会保険加入の手続書類を作成する。
 参照する書類とパソコン画面を慌ただしく見比べていると、目まいがしてきた。
「だめだ、本格的に疲れている・・・」
子どもサイズの小さめな食器に盛られた給食も喉を通らず、午後はほとんど仕事にならなかった。

 帰り道、まっすぐ歩けないほどの目まいに襲われた。
「ゆっくり休まないと。」
 幸い、翌日は日曜日だ。休める。
 やっとのことでアパートに着くと、ぐるぐる回る景色を目を閉じてシャットアウトし、眠りについた。

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