「親戚」という不思議な人たち
ゴールデンウィークだったから二泊三日でさいたまに帰省した。
四歳の息子と二人で帰った。
一人暮らしをしている弟も会いにきたり、車で2時間弱かけて茨城の祖母宅に遊びに行ったり、逆に車で2時間ちょっとかけて茨城から叔父と叔母が埼玉まで会いにきたり、
三日間で、両親きょうだい含めると10人くらいの「親戚」に会った。
親戚って不思議な関係だ。
(家庭によるだろうけれど私の親戚付き合いの場合は、)年齢関係なくタメ口をきいたり、たまにしか会わないのにあまり気をつかわなかったり、お互いの近況は噂話でなんとなく知っていたりする。
「つい最近まで優里ちゃんがこのくらいだったのに、もう今年三十で、四歳の子ども育ててるなんて〜」って言われたりする。
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私が帰省すると、ビールを飲みながら父が必ずホームビデオをDVDに焼き直したものを再生する。
息子にそっくりで驚く。(正しくは、息子が私にそっくり)
親戚って、家族って、不思議だ。
血が繋がっているだけで顔が似たりする。
◆
「優里ちゃん、ちゃんと元気なの?」と祖母が心配しながら私の手をさすった。
「優里ちゃんはそんな風にバリバリ仕事ができて、ほんとかっこいいね〜」と叔父がお昼ごはんのうどんを啜りながら言った。
「久しぶりに会えてよかった〜!」と、従姉妹とお互いの同学年の息子を遊ばせながら再会を喜んだ。
息子たちは、私たちが子ども時代にしていたように、祖母の家の廊下を大騒ぎしながらキャッキャと走り回った。
つい最近まで私たち自身が「気をつけなさい」とか「いい加減にしなさい」と言われる側だったのに、食卓の椅子に腰掛けて「調子乗ってると転ぶからね〜」などと小言を言う側になっている。
こんなに時が流れているのに、もう三十歳になるし母親でもあるのに、祖母は私たちを相変わらず孫扱いだし、伯父伯母も「姪っ子の優里ちゃん」として扱うし、そんな不思議な空間だった。
たまにしか会わないけど、なんだか友だちと会ったときとはまた違うパワーのチャージのされ方をするなぁと感じた。
こんなに小さいころから、私のことを「親戚」という特殊な距離感で見守ってきてくれた人たちなのだなぁと、しみじみした。
日常に帰ろう。
またがんばろう。
次に会ったときに、また楽しいお土産話ができるように。胸を張って「私は元気でやってるよ!」と顔を合わせられるように。
◆
九歳から二十四歳まで住んだ町。
車窓からの眺めは、通学でも通勤でも毎日まいにち見てきた景色。
いまはぜんぜん違う景色が私の日常になった。
すべてを思い出させてくれる慣れ親しんだ町で、元気で両親が迎え入れてくれることがどれだけありがたいことか。
痩せまくった母が心配で、太ももの筋肉が体の中で一番大きい筋肉だからまずそこを鍛えろとアドバイスしてきた。
父はビールを飲み過ぎだった。
二人ともずっと元気でいてほしいな。
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