中高一貫校高卒

私は、東京都立立川国際中等教育学校という、中高一貫校を卒業し、高卒で芸人を始めました。

立川国際は、かつて北多摩高校という名前の高校として存在していました。平成中期に、校舎をそのままで中高一貫校として生まれ変わり、中学生を受け入れるようになりました。名前も立川国際中等教育学校という名前に変わりました。
私が卒業した現在は、若干校舎を増築して都立初の小中高一貫校になり、小学生を受け入れるようになりました。




私は小学生の時に、中学受験をすることを全く考えていませんでした。勉強は全く好きじゃなかったので。

当時、小学校はそんなに楽しくありませんでした。学年では学級崩壊が起きたこともあったり、男女共にいじめが平然とありました。お世辞にも良い環境ではありませんでした。


私が通っていた小学校の生徒は「中学受験や引っ越しをしない限りは、全員同じ中学校に進学する」という環境でした。しかも、近隣の別の小学校からの入学というのもない完全にそのままのパターンでした。混ざらないパターン。

「中学受験勢だけ抜けて、残った人達で小学校と同じメンバーで中学校をやる」という、環境でした。

そのままの何が悪いかというと、中学校になってもスクールカーストが殆ど変わらず、尚且ついじめとかの関係性や雰囲気もそのまま引き継がれる点にあります。

先述にあった通り、同級生の雰囲気が好きではなく、普通に私もいじめを受けてましたし(自分より酷いことされている人は沢山いた)、でも受験はするつもりないし、このまま中学校はどうなっちゃうんだろうなという迷いがありました。



そんな中、小学6年生の秋頃に、名門塾日能研に通う学年1の秀才のとんでもなく頭がいい同じクラスの男の子の友達に「ならこーなら、立川国際くらいなら受験したら受かるんじゃない?」と言われました。
(ならこーは当時の私のあだ名)

「え?マジ?(こいつが言うなら受かるのかな)」

「受験してみたらいいじゃん」

当時の私にとっては彼の言葉は渡りに船で、すぐさま受験することを決めました。彼の言葉と根拠のない謎の自信だけでした。


塾にも行かず、中学受験を志したのが、願書提出期限ギリギリの小6の秋の終わり頃だったこともあり、

当時の担任「受験はそんなに甘くない」
母親「絶対に無理だと思う」
友達の母親「難しいと思う」
立川国際を受験する友達「受けるんだw」 
立川国際を受験する友達「むずいでしょw」

と、周囲の評価は完全に「まあ無理でしょ流石に」という扱いでした。
日能研の彼と、当の本人だけは謎の自信で絶対受かるだろと思っていました。優しい担任の先生ですら受かるのは無理だと思うと言っていました。

しかし、難しい数式とか中学生で習う知識を問われるような知識ベースの試験の他の私立中学と違って、都立立川国際は小学校の知識を前提とした謎解きみたいな試験と作文(適性検査という名前)だったので、受験直前に志したような僕がうっかり完全なまぐれで合格してしまいました。

当時の担任「いけると思ってた、おめでとう」
母親「さすが私の息子です」
友達の母親「流石だよ、おめでとう」
立川国際受験した友達「僕が落ちました」
立川国際受験した友達「なんでお前が」

このとき色んなことを学びました。





そんなこんなで、東京都立立川国際中等教育学校に入学しました。

入学してすぐ、小学校との違いにビビりました。

立川国際の周りの生徒たちは、『駄菓子屋で「ぶたメンにコンポタのうまい棒入れたらめっちゃ美味くなるからやってみ」みたいなしょーもないことを言いそうなガキ』が誰一人いませんでした。小学校の時はそんなガキしか周りにいなかったのに。自分だってそうなのに。


立川国際の生徒たちは、口を開けばやれ「つい最近海外生活から日本に帰ってきたばっかりなんだよね」とか「その時期日本にいなかったからそのアニメ見てないわ」とか「水道水飲めなくて、僕炭酸水しか飲めないんだよね」みたいなガキばっかりでした。

同じ歳なのに、育った環境でこんなに人間は変わるものなのか、とその時初めて痛感しました。

でも思い返せば、そういうふうに言ってた奴はみんな厨二病に罹っていて、各々マウント取りたかっただけだと思います。(話してみたらみんないい奴だったし、卒業の時までそんな痛い奴はいなかった)


私はそんな立川国際で、中学高校の6年間を過ごしました。
偶然入学してしまった素養がない私は余裕でバカすぎたので、定期テスト学年最下位を余裕で何度も取りました。当然在学中はその事実を真剣に隠蔽していました。


高校の編入がなかったので、入学時の面子でそのまま6年間共にしました。退学や転校した人もいたので卒業時には150人ほどになっていましたが。


同級生は、みんな頭が良くて、友達の進学先は東大京大早稲田慶應…という感じでした。150人ほどいて奈良原以外の全員大学か専門学校に進学しました。私のみ唯一の高卒でした。いわば恥晒しです。

学校は隠蔽したいでしょう、私という負の存在を。



私は

①小学校で仲良い人があんまりいない
②中学高校が高校編入がない中高一貫校だった
③通った中学高校が東京にある
④大学などに進学していない
⑤中高一貫校だから思春期の6年間を過ごした
⑥バイトは高頻度でコロコロ変える

という理由で、芸人活動で知り合った以外の友達は、ほぼ全員立川国際で知り合った友達です。


仕事の人と話していて、「昨日友達と飯食ってさ」みたいな話をした時に「なんの友達?」みたいなこと聞かれて、「中高の同級生の友達」って言うと、めちゃくちゃ驚かれます。

本来であれば「中高の同級生の友達」は、確かに珍しいとは思います。ただ、私にとってはそれが普通で、何も特別ではないことなのです。



これを読んだ人の中で「中高一貫校いいな〜、仲良い友達が作れそう!」って思う人がいるかもしれません。その反面で私も「高校受験していたらどういう人生だったのかな〜」とか「大学に進学していたらどういう友達ができたのかな〜」とたまにifルートを想像してしまうのです。

中高一貫校に行く人は、中学受験を選択するくらい家庭や本人の進学意思が強いので、大学に進学する人が殆どだと思います。
同級生をみても僕しかいないように、中高一貫校高卒という特異な自分の経歴が、最近は面白く感じるようになりました。



あの時、私に受験をしたらと提案した秀才の彼とは小学校卒業以後一度も会えていません。今は何をしているのか、さっぱりわかりません。成人式は本当は行きたくなかったけど、彼に会うためだけに行きました。でも会えませんでした。

彼がいたことで、僕の人生は大きく変わったことは間違いありません。いつかまた会えたら感謝を伝えたいですし、あの時の根拠のない自信をいつまでも持ち続けていたいと思います。

こんな奴に投げ銭するくらいなら、高めの飯食った方がいい。