大切なもの、大切にしたいもの、大切にしたかったもの
わたしたちが生きていく上で、大切なものは何だろうか。
お金。お金がなければ物も買えない、ご飯も食べられない。
時間。時間に余裕を持てなければ、日常の習慣に追われて、仕事に忙殺される人生を送らなくてはいけない。
他にもいろいろある。言い出したらキリがないけれど、しかし何よりも一番大切なのは、自分の命。
自分が生きていなければ、何も始まらないし、何も終わらない。何も始めることができないし、何も終わらせることができない。だから、何かを大切にすることだってできない。
生きてるだけでえらい、これは普通に生きていくことにつまずいたことがある人なら、きっと感じることだと思う。死にかけると、いつもは忘れていた、自分の命の重さっていうものを、改めて感じることができるはず。
でも、それだけでいいんだろうか。
自分の命を大切にするだけで、わたしたちは幸せなんだろうか。
もしそうだったら、人はみな1人で生きていくことができるはずだ。実際に、1人で生きていける人もいるのかもしれない。でも、人は仲間を作り、友だちを作り、恋人を作る。それはなぜか。
自分の命と同じくらい大切なものを持てることが、自分の幸せになるからなんだと思う。
そしてそれでお互い幸せになれたら、その絆はきっと強く解けないものになる。
誰かのため、この人のためなら、自分の命すら犠牲にしてもいい、そう感じれることが、自分の人生を充実したものにしてくれるのだと思う。
しかし、その関係が永遠に続くかと言ったら、そうでないことが多い。友だちと仲違いすることも、恋人と別れることも、ある。
では、今まで繋いでいた絆は、そのとき簡単に切れてしまうのだろうか。そういう人もいるだろう。すぐにリセットできて、次の絆に繋げることができる人も、きっといるんだと思う。
でもそれは、きっとそれだけ繋いでいた絆が細く、弱かったからで、もし繋いだ絆が太ければ太く、強ければ強いほど、その絆は切れようとしてと切れづらく、それが切れてしまったときの反動はものすごく、自分で切れたと思ってもかすかに糸が繋がっていたり、そのすべての糸を断ち切るにはとてつもない時間が必要になったりする。
それはある意味では当然のことで、自分の命と同じだけ大切なものが、自分からなくなってしまったのだから、痛みなく、苦まずに生きていくことなんてできやしないのだ。
だからわたしたちは、もう何ヶ月、何年前の心の傷を、未だに癒しきれなかったりする。
でもそれは、自分の命に関わる場所、たとえば首を大怪我したときに、身体に不自由が出て、今まで通りの生活を送れるようになるまでに途方もない時間がかかるのと同じように、それだけ自分にとって大切なものだったということ。
そしてそれだけ自分が、何かを、誰かを大切にできていた、大切にしたかったということだ。
その思いが強いからこそ、終わったはずの恋に、未だに胸をえぐられる。長い間引きずって、いつまでも終わらないように感じる。忘れられたと思っても、ふとした時にその痛みが全身に走る。そしてそれはとても辛く、苦しい。
では、その苦しみを消し去れる方法はあるのだろうか。
きっと、ない。対症療法はあっても、根本的にそれを消し去ることは不可能で、だからわたしたちは苦しみから逃れられない。
しかし、過去に苦しめられている人に、その苦しみを癒すことはできないけれど、これだけは伝わってほしいなと思う。
あなたは、それだけ、人のことを思うことができ、大切にすることができる人なんだ。そんなに苦しい分、人を大切に思ってきたということなんだ。それだけ苦しめる分、人を大切に思えるということなんだ。
だからわたしは心から願う、「そんな自分」を大事にしてほしいと。「悩める自分」を。「引きずることができる自分」を、「立ち直らない自分」を、「苦しめる自分」を。
きっと、そんなに苦しめる人は、そんなにいない、そんなに人を大切に思える人は、そんなにいない。
だから、自分に自信を持ってほしい。
すぐには無理でも、また新しい絆をつないでほしい。
その絆が再び切れてしまうことが怖くても、どうかまたその絆を紡いで、
そしてどうか幸せな人生を送ってほしい。
以上、わたしから、わたしの大切な人たちに送りたい言葉でした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。