#4_ジャニオタという遺伝子を持って生まれた女
中学1年の2003年9月15日。
NEWSが結成され、ここにエイトから錦戸亮と内博貴だけが加入することになる。
当時内くんが好きだった私が、KAT-TUN(主に亀)にどっぷり浮気していた罰かと思った。
山Pがデビュー出来ないなら辞めると言い出したから山Pの為に集められただとか、いろいろと憶測はあったが
本人でも事務所の人間でもないただのオタクには本当の理由なんてものはいつもよく分からないが、
このメンバーの選抜の意味は今も本当に良く分からない。
結成当時からデビューはないと言われていたらしいが
山P、斗真、ハセジュン、風間俊介の4人で組んでいた4topsでデビューすれば美しかった気もするけれど。
CDデビューという一つのゴールが当たり前すぎて、Jr.内でグループを組めばそのまま、と思い込んでしまっていたんだろう。
ジャニーさんはCDデビューという形に囚われないタレントを育てたかったのかもしれない。
現に、斗真やかざぽん(風間俊介)は俳優として今やきちんとジャニーズ事務所の看板を背負っている。
NEWSデビュー時に行われた握手会は、CDを握りしめて早朝4時から大阪南港のイベント会場に並び続け
いざ握手出来るメンバーは選べないという暴君イベントだった。
私が行った大阪会場はたしか
山P、りょん(錦戸亮)、内くんが一人ずつ、
手越、まっすー、森内(ワンオクのTaka)の3人で一つ、
慶ちゃん、シゲ、草野のK.K.Kityの3人で一つ、というブース分けだったように思う。
奇跡的に内くんのブースに並べた私は本当に昔からここぞという運が強い。
それでも、私はエイトは8人で居て欲しかった。
正直デビューするしないはどちらでも良いと思っていたにしても、8人は8人グループで居て欲しかった。
りょん(錦戸亮)と内くんが先に他グループでデビューしてしまったが故に
きみくん(横山裕)たちがそこに対抗したり自虐ネタにしてバラエティー番組でエピソードトークしているのが切なかった。
ハングリー精神をそんな風に出さなくても、きみくんは私の中でタッキーよりプロデュース力に優れていると思ってるし
松竹座ですうとヤスと3人で組んだ三兄弟というユニットで「プリン」や「オニギシ」を作詞していたことも、始めたコントがエイトレンジャーになってコンサートの4分の1を占めるようになったことも
DVDメイキングの裏でしっかり誰よりもお兄ちゃんやっているのが自覚無く写ってたりする面倒見の良さとか
実弟を溺愛してる愛情深さを知ってるから
今、Aぇ!groupのプロデュースをするに至ってくれて本当にうれしい。
すう(渋谷すばる)がソロ活動やバンドをし始めたときも、
信五がいきなりキーボードを弾き出したことも、
エイトがエイトを成長させるために見えないところでしていた努力とそのかっこよさを中学生ながら感じていたし
いつもコンサートで見せてくれているものが、簡単にやっていると受け取っていたわけではない。
2004年、二人がNEWSと兼任しながらでも関ジャニ∞としてデビューが決まった時は
“本人たちのデビューするという夢が叶ったこと”が素直に嬉しいと思えた。
たった2年で、8人じゃなくなるかもなんて
このときは考えつきもしなかったから。