#8_ジャニオタという遺伝子を持って生まれた女
8周年の2012年10月に初のベストアルバム「8EST」を発売し、年末には「第63回NHK紅白歌合戦」にも初出場したエイトは
コンサートのコント企画だったエイトレンジャーも二度の映画化になるなど、どんどんジャニーズを背負っていくグループになっていった。
2015年5月、今も続くテレビ朝日系列「関ジャム 完全燃SHOW」という音楽バラエティ番組の放送が開始された。
この番組が始まったことによって、すう(すばる)のアーティスト欲は強くなっていったんだろうな、と思う。
相変わらず、出演するメンバーが入れ替わりだったりという自由さだったけど
番組中に行われるゲストとの音楽セッションでは、楽器や歌に触れることが楽しくて仕方がないメンバーみんなの気持ちが伝わってくる番組だった。
同時に伝わるものすごい緊張感と、エイトが音楽できちんと評価されていく姿は爽快で気持ちよかったし、見ていてとても楽しかった。
ここで多くの業界の方々からの評価も受け
2017年には様々なアーティストや音楽プロデューサーからの楽曲提供された曲と本人たちが自作したアルバム「ジャム」が発売された。
同じ2017年に音楽イベント「METROCK 2017 TOKYO(METROPOLITAN ROCK FESTIVAL/通称メトロック)」で、野外ロックフェス初参戦を果たしたことも
やっぱりすうにとっては
ロック、バンドがやりたいという気持ちに拍車がかかったのかもしれない。
このステージに立っていることも、
関ジャニ∞が観客を自分たちのモノに魅了していく姿も、
ファンに見せてくれる景色がこんな形でまた一つ増えたことも、
もう改めてどうしようもなくかっこよくて、とんでもないグループだなと溜め息が出た。
ビートルズよりローリングストーンズよりクイーンより
世界中のどのアーティストよりエイトの演奏とバンドと歌が一番好きだった。
私にとっては、関ジャニ∞が世界で一番のエンターテイナー。
加えて顔もかっこよくて踊って演技もして笑いも取れる、こんな最高で最強の人たち、私の人生にはもう二度と現れない。
こんなグループを大阪時代からずっと見てこられたことが奇跡だ。
もう下手したら、このまま世界に羽ばたいていってしまうんじゃないか。
嬉しいけどそれはまだ寂しいのほうが勝つな、なんて呑気に
音楽フェスのステージでキラキラしているエイトの姿が映し出されるニュースを繰り返し再生した。
この時はまだ、
すうは「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます!」と言ってくれていたから。
少し時は戻り、2015年の年末から行われていたツアー「関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!」の2016年に入った最終日の京セラドーム公演を
忠義が急性腸閉塞のため欠席、一時は中止の方向だったものの、残りの6人でコンサートが決行された。
当時、2015年の5月からちょうど1年間、オーストラリアへワーキングホリデーに行っていた私は
このコンサートには行っていないし、忠義が欠席したライブが行われたことはネットニュースを見て知った。
決行を決める前、ステージに私服でメンバーが出て来て、会場のファンに6人で決行することの承諾を得たという。
のちに発売されたDVDもこの公演が収録され、帰国してから観たコンサート映像は
忠義に対しても、ファンに対してもすごく愛溢れるものだと思った。
公演終了後、忠義が急遽出演できなかったことを考慮して事務所が異例の返金対応をしたことも
きっと忠義のファンを思ってメンバーでも話し合って行ったことだと思った。
「公演を観ておいて後から返金するのはあり得ない」とか
「忠義が居ない公演をわざわざ映像化するな」とか
いろんな意見があった。
私個人としては、メンバーとスタッフ全員が決めたことなら
そんなことどうだっていい。
周りの目もあって会場から出づらかった人もいるだろうし
観たとしても本音は忠義が居なけりゃ寂しかったと思う人もいるだろうし
楽しく観たけど単にお金返ってくるならラッキーと思った人もいるだろうし
映像化することもこの公演しか通しで収録してなかったんなら仕方ないと思うし
それよりも私は
この公演の、すうの最後の挨拶の真意が、今もどうしても知りたい。
忠義が出演できないことを告げたとき、泣いているファンも多くいる中で
忠義のうちわを持って歌ったり、“言ったじゃないか”の歌詞をもじって訴えかけたり
終始このことさえも笑いにしようと楽しく進めていた公演の終わりに、
珍しく涙ぐみながら漏らした挨拶の言葉たち。
そして、このツアーアルバムに入っている曲、メンバー全員がリレー形式で歌詞を紡いだ
「元気が出るSONG」
の意味を。
#
この公演から2年経った2018年4月15日の朝、公式サイトから届いたメール。
“関ジャニ∞のメンバーから、大切なお知らせがあります”
私はこの文言を見ても、なにもピンとこなかった。
でもそのページを開いてから、一瞬で、この少し前に週刊誌Fridayでスクープされた記事を思い出した。
「…ちょっと待って、ほんまの話?」
「嫌だ、見たくない。」
Fridayだし、文春じゃないし。
信じるどころがまともに見てもいなかったその記事。
でもこのあと緊急記者会見が行われるという。
その日の11時から始まった記者会見。
そこで聞いた内容は、しばらく頭に入って来なかった。
まずヤス以外のメンバーだとしても
こんな風に全員同席しなければならない記者会見なんて、もう二度と見たくないと思った。
今も当時会見をどこで見てたかとかあまり思い出せなくて、
内容をきちんと理解できたのはりょんが辞めた2019年の年末くらいにやっと見返したネット記事だった。
でも、その会見で脱退を考え始めたのが「35歳くらいの時」だと言うすうに
真っ先に頭に浮かんだこの歌詞。
この会見で2018年の年末をもってジャニーズ事務所を脱退すると話したすうは9月で37歳になる年だった。
脱退を考え始めたという35歳の誕生日を迎えたのは2016年9月22日。
そしてこの“元気が出るSONG”が収録されたアルバムが発売されたのは、
2015年11月11日。
35歳の誕生日を迎えるたった1年前。
昔を思い出してこの歌詞を紡いだとき、気持ちは変わらないと思ってた?
これを書いた、たった1年前は、10年後もエイトでいようと思ってた?
こんな感じで笑ったり泣いたりしてると思ってた?
私たちは思ってたよ。
いつでも7人で、笑ったり泣いたりしていくと思ってたよ。
それをずっと見ていられると思ってたよ。
嘘じゃなかったと思いたい。
ここの歌詞のパート、すうが自分で考えて書いたんよね?
この歌詞を制作してたときも、
忠義が欠席したコンサートで泣いてたことも、
その最後の挨拶で語ったことも、
そのときは自分がエイトを辞めようだなんて思ってなかったって言って欲しい。
ごめんけど、
ソロ活動後、結婚して子供が生まれた今となっては
“そのため”でもあったんだろうなとしか思えないけれど。
その年の7月からのツアーにももう出ないという。
そりゃそうだ、転売チケットが高騰するどころの騒ぎじゃなくなるだろうし。
連日“関ジャニ∞ 7人体制最後の出演”がメディアでよく流れるようになって
あっという間に、静かに確実に、その時はやってきた。
最後のテレ東音楽祭、最後のMステ、最後のジャニ勉。
クロニクルで最後にヤスのアコギ1本で歌ったHeavenly Psycho。
そして7月8日の関ジャムは最後に初の生放送。
もう、吐くほど泣いたし
ただただひたすらに悲しくて寂しくて
頑張ってほしいとかこれからも応援してるよなんて1ミリも思えなかった。
もう何もかもが終わる。
今まで大好きだった関ジャニ∞は、もう7人じゃなくなる。
もうあの頃には戻れない。
私はもう、最後に7人で歌ったこの曲たちも
この2018年5月に7人最後のリリースとなったベストアルバム「GR8EST」も
数年は聴けないだろうなと思った。