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#3_ジャニオタという遺伝子を持って生まれた女
私は、ファンクラブ会員だとしても
エイターでもティアラでもないということをここに明言しておきたい。
理由は明確。
このファンの総称などが出来る前からジャニーズが好きだからだ。
ましてや、こういったファンの総称の先駆けとなったのは
すう(渋谷すばる)が好きなRIZEというロックバンドがファンのことをRIZERと呼んでいるのを真似たのが始まりであり
彼らが私たちのことをエイターと呼ぶのは分かるが、あまり自らは言いたくない。
なんとなく、良い年して大人になりきれない女が自分のことを名前で呼んでいるあの恥ずかしさに似ている。
少なくとも私はコンサートは普通に観に行くという参観日くらいのスタンスだし
今となってはファンクラブの年会費は彼らへの仕送りだと思っている。
エイトが関テレで“ほんじゃに!”というロカール番組を持つ頃には
当たり前のように毎週VHSで録画していた。
その前身の番組の途中で、忠義がしれっと加入した回をよく覚えている。
この番組がのちに“ジャニ勉”になりしばらく経った頃には、もう番協に応募してもなかなか当たらなくなるほど、エイトは関西で人気を博していった。
関ジャニ∞が確かまだ関ジャニ8だった頃、大阪松竹座で夏と冬に行われていた約1か月の舞台とミニライブ。
松竹座は、売れていなかったから1000人の客席も埋められなかったと本人たちが良く言う会場だが
実際、結成前の2002年に行われた“ANOTHER”という舞台こそ小学生だったため観に行けなかったものの
その後から2006年まで行われたサマースペシャル、Xmasパーティーでは1階席の10列目以内しか当たったことがない。
2019年の4月、りょん(錦戸亮)が脱退する前のレコード会社が行った収録協力でも私たちが引き当てたのは1階席4列目の通路横だった。
内くんが好きだった私が、舞台中に膝の上に置いていたボードを見て内くんがコンサート中に客席に降りて来て握手してくれたり
通路横の席で弟のメガネをふざけて取った信五が内くんを呼んできてくれて会話したり
本人たちの記憶やDVDに残ってこそいないものの、私にとっても大阪松竹座は今も特別で大切な思い出の場所になっている。
当時の公演が終わるたび、興奮冷めやらぬまま書き殴ったノートが今も実家にあるくらいだ。
そして中学生で時間に自由が利かないことをあれほど恨んだことはない。
短期アルバイトで大阪までの交通費を貰いながら舞台の出待ちへ行く高校生の姉が羨ましくて仕方なかった。
当時、舞台の前後にメンバーが“受け”というものをしてくれ、直接手紙を渡せる時間があったのだ。
真夏の炎天下、真冬のクリスマス間近の夜、並んで並んで並びさえすれば3秒顔を見て直接手紙を渡せるなんて、今考えれば嘘みたいな話だ。
中学生だった私は、健全に当選した日の舞台とその他数回しか並びに行けなかったが
今中学生の自分に会いに行けるのなら、「今すぐにでも堂々と明るい不登校になれ!」と励まし軍資金を渡してやりたい。
そんな風に大阪へ通ってくれる共通の友達はおろかそもそも学校に友人と呼べる人がおらず、
毎日この体育館にサプライズでエイトがライブに来てくれたら…とありもしない妄想をして生きていた。
私が中学に上がる前くらいに、PHSからガラケーという携帯電話が登場したが
中一の期末テストのご褒美で買ってもらえた時は、まだ好きなグループ同士の交流サイトのようなものも多くなかった。
マイプロフィールや自分で作るホームページが流行った時、
ジャニオタの中でも一大ブームを巻き起こしたサイトがある。
“夢小説”
今や形を変えて、インスタグラムで妄想で綴ったLINEのやり取りを載せるアカウントのいわば前身である。
今考えれば恐ろしいことに、こういったサイト上でごく普通に友達募集をしていて
ホームページ上でやり取りをしたのちにメールアドレスを交換したり住所を教え合ってプリクラ交換などをしていた。
かく言う私も、某有名小説サイトの管理人が友達募集していた際に応募したことがあり
運良くその募集は嘘でもオジサンでもなくちゃんと同世代の女の子だった。
なんならその友人はジャニーズという共通の趣味を通じて知り合ったとはいえ今も唯一の中学時代からの友達である。
中には5000円で友達として○○くんを紹介します、といった闇深い募集もたくさんあった。
純粋すぎて信じた私は一度母にお小遣いと別でお金が欲しいとせびり、理由を話したら死ぬほど怒られたことがある。
世の中にはこんな風に詐欺が蔓延っているのだと学んだ出来事でもあった。