海賊と呼ばれた男の▶︎▷福岡編(7)
⛩宗像大社(むなかた たいしゃ)
𖥸御祭神
田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
𖥸由来
宗像大社は日本神話に登場する最古の神社の1つであり、天照大神の三女神である田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神を祀っています
この三宮を総称して宗像大社と呼びます
日本書紀に、天照大神が宗像三女神に対して「歴代天皇を助けると、天皇たちが祀るでしょう」という言葉が残されています
この言葉は、宗像が日本で最初の国際港であった為、海外との外交、貿易、国防などの役割を果たせば、天皇たちによって祀られるとされていました
これは、沖ノ島という島から出土した約8万点の国宝からも国家祭祀の痕跡が裏付けられています
国家祭祀とは、天皇の使いや勅使が現地に来て祭りを行うこと
宗像における国家祭祀は、出土した国宝の品々から判断すると、かなり大規模だった可能性があります
𖥸沖津宮
沖津宮は宗像大社の三つの宮の一つで、沖津宮には三女神の田心姫神が祀られています
沖津宮は沖ノ島にあり、玄界灘の中央部に浮かぶ島で、全島が国の天然記念物であり、国の史跡に指定されています
この島には住人はいませんし、女性の立ち入りも禁止されています
また、島に上陸する際には海中での禊(みそぎ)を行う必要があります
さらに、一切の木や草、石を持ち出すこともできません
行ってみたいですが、一般の人々が立ち入ることを禁止されていて、神職以外は島に渡ることができません🥺
𖥸中津宮
中津宮は宗像大社の三つの宮の一つで、大島あります
大島は福岡県宗像市神湊から7キロメートル離れた島で、人口は約700人ほど
この島は福岡県内で最も大きな島です
行き方はフェリー、旅客船、海上タクシーがあります🚢⚓️
ここでは宗像三女神の一柱である湍津姫神を祀っています
中津宮の境内には「天の川」という川が流れていて、中津宮で最も盛大な神事である七夕祭があり旧暦の7月7日に近い8月7日に行われます
川の水を入れたタライに映った姿で男女の縁を定める風習が鎌倉時代からあるそうです
めっちゃ行きたいです(((o(*゚▽゚*)o)))
𖥸第二宮 第三宮
沖津宮、中津宮に行かなくても参拝できるように、第二宮には田心姫神、第三宮には湍津姫神が祀られています
𖥸宗像三女神の誕生
伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)という夫婦神が高天原に住んでいました
彼らは神々から国を生み出すよう命じられ、国を生み出します
その後、夫婦神から天照大神(あまてらすおおかみ)月夜見尊(つきよみのみこと)素盞鳴尊(すさのおのみこと)という三神が生まれました
素盞鳴尊は気短な性格で、父神に怒りを買い、根の国へ追放されました
彼は姉の天照大神に別れを告げに高天原に戻るのですが
その時に、山や川が鳴動し大地が揺れるという異変が起こります
その為、天照大神は戦いに備えて武装し、弟を待ち構えます
しかし、素盞鳴尊が天照大神に対してお別れをしに来ただけだと言うのですが、信じてもらえませんでした
素盞鳴尊が自分の言葉を信じて欲しいと願っても、天照大神の疑いは晴れません
そこで素盞鳴尊は、自分が男神を生むことで潔白であることを証明しようとし、天照大神に誓約を申し出ました
この誓約というのは、今でいうと占い的な感じ
まず、天照大神は最初に素盞鳴尊の剣を噛み砕き、それから息を吹きかけます
噛み砕き・・・カタ:(ˊ◦ω◦ˋ):カタ
すると、三柱の女神が生まれました😱💦
これが宗像三女神の誕生です︎👍🏻 ̖́-
次に、素盞鳴尊が天照大神の勾玉を噛み砕き、息を吹きかけると五柱の男神が生まれました
これで素盞鳴尊は晴れて身の潔白を証明することとなります
𖥸高宮祭場
市杵島姫神の降臨の地とされています
社殿がない古代祭場です
月次祭にはお祭りがあり、10月3日には夜神楽(悠久舞)が舞われるそうです
見たい(´。✪ω✪。`)
𖥸「海賊と呼ばれた男」出光興産創業者の出光佐三さん
1885年、福岡県宗像郡赤間村(現在の宗像市)で生まれた出光佐三は信心深く、宗像大社を幼い頃から崇敬していた✨️
貴族院議員に選ばれた後、参拝のために宗像神社を訪れたときに拝殿を見ると、屋根は壊れ、腐れかかった場所がありました🥺
この光景を見た出光佐三は、ひどく心を痛め、早く元の姿に戻さなくてはと思い、宗像神社再建のため、出光佐三が中心となり「宗像神社復興期成会」を結成しました
宗像神社再建に向け動き始めた出光佐三は、政府高官から「気持ちは分かるが、物事には順序があり簡単なことではない。しかし、『宗像神社史』を作ったら、日本の神社に関してあらゆることが分かるぐらいに、神社史としては最高のものとなるだろう。それがあれば、何も運動しなくてもひとりでに解決する」との助言を受け
『宗像神社史』の出版に向けて、資料の収集、調査、編纂(へんさん)作業を実施し、完成させます
神社史編纂(へんさん)の途中、沖ノ島では、何がされていたのか誰も分からず、現地での詳細な調査が必要となりました
そこで、初めて沖ノ島の学術調査が実施され、数多くの貴重な神宝と祭祀(さいし)の跡を発見
由来の時に話してたやつですね
その後、2度にわたる学術調査を経て、「沖ノ島」「続沖ノ島」「宗像 沖ノ島」を出版しました📚
宗像神社史の出版後、出光佐三の悲願だった「宗像神社を往年の姿に戻す」の実現に向けて、本殿の修復工事に着工します👷
修復は、総工費約10億円(当時)をかけて実施されました
復興期成会の会長として、出光佐三は援助を惜しまず、これに取り組みました
400年ぶりとなる大造営は、着工から2年の歳月をかけて完了しました
佐三氏の功績を後世に伝えるため、神社では佐三氏の名前を刻んだ記念碑の建立を望んだが
目立つことを嫌う彼はこれを拒否しており、神社のどこにも出光佐三の名は遺されていません
名前を刻む碑はないが、神社内の一角に三カ所だけ、石に刻まれた出光佐三の揮毫(きごう)が残されています
第二宮、第三宮の文字
そして、二つの宮の前に置かれた手水鉢に書かれた「洗心」の文字🙏✨
かっこいい( ー̀֊ー́ )✨✨✨
𖥸御朱印
直書き
書いて頂く所が、とにかく綺麗でコーヒー飲むようなオシャレな作りでした☕️
𖥸住所、アクセス
〒811-3505 福岡県宗像市田島2331
𖥸TikTok
TikTokでは宗像大社の動画(26秒)も投稿してますので見て頂けると嬉しいです✨
↓長押し、リンクを開くをタップで飛べます🕊
https://vt.tiktok.com/ZSFpLavhE/
読んで頂きありがとうございました🙌✨☺️