根を張る、はたらく
農村のおうちにいると、この家の人たちがずっと小さく小さく働いているのがよくわかる。時間給には絶対に換算できない、最小単位のはたらく。
鶏のえさを用意する
牛を草のあるほうへつれていく
帰りにお昼のスープにいれる新芽をつんでくる
お庭のハーブに水をあげる
薪を割る
昼寝する孫のハンモックを揺らす
裏庭にウコンを植える
元気がなくなったネギを間引く
仕事にでる前に、クワで草を刈るお兄ちゃん。
牛にあげるの?と聞くと、トゲがあるやつが茂りすぎたから切っていると。
とげがあるから牛も食べられないと教えてくれる。
本業のまわりに、暮らしを支えるたくさんの小さな“はたらく”が散りばめられてい、それが収入のある仕事とは別に、暮らしの根を支えている。
例えば、これ。
お母さんが割っているのは焚き付け。火を起こす前の、下準備。
このおうちでは、今はガスと薪を併用している。
私が最初にきた頃は薪か炭だったけれど、孫の数が多くなって、手が離せない時はガスを使うという変化が数年前に訪れた。
それでも、日常的に活躍しているのは薪。家の周囲に植えた果樹の枝、家から少し離れたところにあるカシューナッツの木の枝などが時々バイクで運ばれてきて、庭に積んである。
今はろうそくとか、古いタイヤを焚きつけとして使うことも多いけど、特にタイヤなんかはそこからでる煙が体に良くない。昔の人たちが森から焚きつけとして取ってきていたのがこちらの“スロー“と呼ばれる木。
昔は近くにいっぱいあったんだけどね、とお母さん。
火をつけると、こんなふうになります。
最初はその小ささゆえに、“はたらく“に気がつかない。
でも、じーっとよく観察すると、そして時々後ろをついて行くと、おうちの人たちがどうやって暮らしをつくっているかが、だんだんわかってくる。
このどっしりとした暮らしは、、無数の小さな単位のはたらくに支えられているのだ。
きっと、本当は私たちの暮らしでも、そう。
だけど、意識を向けないと、気がつかないと忘れてしまう。
ついつい、収入の大きな柱になっているもの、経済的に影響が大きいものが「はたらく」だと思ってしまう。
このいつもと違う2020年という不思議な年は、私たちに小さな“はたらく”の存在を思い出させてくれる特別なときなのかもしれない。
2020.9.14