周縁
昔、中心がないから皆に迷惑かけるんだって思ってた。
芯がないだの、気分で人を振り回すだの、自分勝手だの、さんざん言われた。事実だからこそずっと脳裏にこびりついて離れなくて、くりかえしくりかえし瞬いては心を刺して、追い詰められて、何かが壊れた。怒る気なんて毛頭ないけど、もうまともに受け入れるつもりもない。関係性ごと味わい尽くして、十分だと思った。
あれからちっとは中心を作ろうとしたし、
自分の機嫌は自分で取ろうとしたし、
別に他人に迷惑なんてかけてないつもりだった。
ちっとは変わった。
何年か後、また、中心なき人だって言われた。
むかついた。今度のそれは、自分の苦痛をまともに言い当ててる気がした。
それであってたまるか。
ことはそう暗くはない。ものはそう永遠ではない。
俺は知らず知らず変わりたいと願っていた。知らぬうちその通りになった。気づけば歩いていた。
俺は信じてる。信じたいんだ。たとえ涙するほど望んだって、このままではいられないこと。
変わってしまった、
変われた、
楽になった、
失った。
いっときの定義に、
永遠の可能性を閉ざされてたまるか。
人間存在の周縁を歩く。ここからどこかへ旅をする。ここにはもういられないから、かならず何かを置いていく。頼っていた杖、被っていた猫。
実感のない例えになるけれど、
例えるなら湿り気のある山の森の中、気持ちの悪い苔と歩き易い人の道、今のここは国を隔てる浅くて広い谷川。浅いくせに、渡るには苦労がいる。
いずれは、砂漠の熱と乾きに全てを奪われたい。
新たに辿り着いた場所で、かの地の光に染まる。
そんなことを繰り返している。大なり、小なり、幾重にも。
恒星を回る惑星が、銀河をも廻っているように。
振り返って仰ぎ見るかつての居場所は、居たときよりも尊く見える。でも羨ましくはない。あの場所の芝が、伺えるより青くはないこと、もう、知っている。
見えうるすべての地を歩いたなら、もう何者をも、羨ましく思わずに済むのではないかと、信じてやまぬ願いに突き動かされて、周縁を歩いている。
だけど、中心があると信じているうちは。違うのではないかとさえ、思う、
中心を存在させようとするから、周縁が生まれる。
まだ辿り着かないどこかによりよい何かがかならず存在すると、憧れて焦がれているから、どこにいても違和感があるんだ。
この地が、間違いのない中心であると、
どこにも散りようのない、俺こそがここなのだと、
在れたなら。
ああ、何も考えが出なくなってきた。
また酒を飲んでいる、むしろ時しか書かない。ワインを500mlくらいなら、少し気持ち悪いで済む。
何も考えられなくなりたい、真っ白に、真っ暗に、なれたら幸せなのにと、しらふのまま今日もうっすらと泣いていて、希求のまま酒を買って、
飲んだら一歩だけ乞い願う何かに近づける気がするのは、それが中心なのだろうか。全然違う、こじつけだ。