死にかけて、働き方を考えた話。

目が覚めた。

私は、大量の冷や汗をかきながら玄関の床に横たわっていた。どうやら部屋に入った途端、倒れてしまったらしい。


もしかしたらこのまま死んでいたかも知れない状況で、目が覚めたことに心底安堵した。一人暮らしの場合、目が覚めないことはそのまま死に直結するだろう。

重い体を引きずり、なんとか台所へむかいグラスに水を汲む。


水をこれ以上ないぐらい、音を立てて呑み込んだあと、生き返ったような心地がした。

そして、思い直したのだ。


もうこのまま働くことは不可能だということを。

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私はアパレル系の販売員として2年間正社員として勤務していた。一年目は地元の店舗で。実家から車で通勤をしていた。

通勤時間は片道、1時間半。


往復、3時間。1日のうち通勤に使う時間が長く、最初は辛かったが
次第に体が慣れ、通勤も楽しくできるようになった。

アパレルの仕事は厳しい。

基本的に立ち仕事で、8時間喋りっぱなし。私は年に3回ほど喉を痛めて声が出なくなる。

そこそこ忙しい店舗でいつも人員が足りず、毎日毎日走り回っていた。

1年経ったころ、異動の話を持ちかけられた。


全国で5本の指に入る繁忙店への異動の打診だった。

初めての異動。不安でしょうがない。しかも自分にまったく縁のない地域。気候も雪国でまったく環境が異なる場所だ。


縁もゆかりもない地域で、しかも繁忙店で私は働けるのだろうか?

私はとても不安になったが、断ることもできず、異動が決定した。


異動した先の店舗は今までと空気感が全く違った。手際のいい、スタッフたちが次々にお客様をさばいていく。

あれよあれよといううちに、次の作業が待ち受けていて、毎日時間とお客様に追いかけられているような気持ちになった。


仕事が終わると今までにない疲労感を感じた。車がある駐車場までの帰り道、あまりの疲労感に胃が気持ち悪くなって茂みにしゃがみ込んだ。

その日は休憩中もどうしても食べ物を身体が受け付けず、何も食べていなかったため、胃液しか出なかった。私は胃液をひとしきり吐き出すまで、その場から動けなかった。


そんな日も繰り返していくうちに少しづつ身体が慣れてくる。


私はお店のオペレーションの一部になれるよう、体を必死に動かした。誰かに迷惑をかけてはいけない、私だけ遅れをとってはいけない。

多分誰かに相談出来たり、話したり出来たら何か違ったのかも知れないが、私の周りにはそういった人は見つからなかった。どうしても、この地域の人の裏表のある感じが、もともとの自分の地域と違いすぎて、馴染むことができなかった。

今はいいよ、といっているけれどあとでなんか言われるんだろうな。

そういった気持ちが私の中で拭えない。

今まで住んだことのない、雪国での気候もネックだった。私は低気圧の変化に死ぬほど弱い。

天気が悪くなると調子が悪くなるなる、ハメハメハ大王みたいな女だ。


必死に体を動かしながら、身体は疲弊し、心はもやもやと晴れない。
一人で何を戦っているんだろう?毎日疑問ばかり浮かんだ。

私がやりたいことはこれだったの?

私はオペレーションを円滑に回すために配置された、機械なのかな?

その疑問の中でも私は1年間働いていた。


異動してから月日がたったある日、私はついに倒れた。

死ぬかと思った。


ちなみに、症状は肝炎だった。私は就業してからストレスがたまると肝炎になりやすい、慢性肝炎を患うようになっていた。


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でもどんなに辛くても、働かなくちゃいけないと思っていた。

私が休んだらシフトに穴が空く。スタッフのみんなに迷惑がかかる。


私なんて、働いていなければなんの価値もないだたの24歳のそこらへんにいる、女なんだから。


そう、言い聞かせて毎日体に鞭打って、なんとか働いていた。


でも、本当に死にかけて、いろんなことを思った。

死ぬのめっちゃ怖い。


まだやりたいこと、見たいこと、聞きたいこと、会いたい人、聴きたい曲、見たい絵、知りたい物語いっぱい、いっぱいある。


溢れている。

あ!ガラスの仮面まだラスト見てない!!


ワンピースも完結してないのに!?


こんなの死んでも死に切れない!死にたくない!!

そう強く思った。

そして何より、私は思ったより周りのみんなに愛されていた。


過労で倒れて、死にそうになったから会社辞めようと思う、と友達に伝えたら生きててほんとよかった、と泣かれた。


わんわん、泣いていた。


ああ。私はこの子をこんなにも泣かせてしまう存在だったんだな、と思った。

もうこの子をこれ以上、悲しませてはいけない。


家族も死ぬくらいなら、自分のペースでゆっくり生きてほしいといった。


私は意を決して会社を辞めた。


身体がついていかないんです、と伝えた時、しばらくは上長に体力を付けるとかどう?などと提案されたが、もともと体が弱いんですよとか、そういうことじゃないと伝えるのに幾分時間がかかった。

また、働いていた会社は月9日休みで年間休日109日という、休みが少ない会社だったこともあり、それで体調を崩した、というのもある。


これは紛れもなく私の企業選び不備としか言えないだろう。

ただ、時短勤務の精度が存在していたため、わたしの場合も適応できないかと持ちかけてみたが、時短勤務は育休明けの社員のみが受けられる精度であると、説明された。


世界にはいろんな人がいるけれど、企業は多様な人材を受け入れる器がないことが多すぎやしないか。


みんなが、指を詰め無理矢理に靴を履こうとしたシンデレラの継姉のように、自分の肉体を傷つけ、なんとか社会に嵌め込まれているのは痛々しくて、自然ではない気がする。


やめる寸前までは、色々と諦めがつかないことが多く、ああ店長とかやってみたかったなあだとかいろんなことを考えてた。

しかし、辞めた今は妙にスッキリしている。

辞めてしまったのは変わらないし、これからは自分の力で生きていかねければならない。

そう思うとやることが多くて、くよくよなんてしていられないからだ。


今私は仕事をやめ何者かになりたくて必死にもがいている。


誰も悲しませないように、自分を殺さないために。


胸を張って生きていけるように。

そのために文章を書いている。


まずは一歩ずつできることから始めていこうと思う。


おはようからおやすみまで、誰かに役立つコンテンツを作り続けていたい。


私らしい働き方で、また誰かを喜ばせる日を夢見ながら。


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菜っぱ
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