スターチスの花に水をまく/14:うつろい
夕暮れ時の技術と学問の塔、最上部。わたくしエメリーヌは上長であるガスパルを叱りつけた後にのんびりお茶を飲んでいる。何故次長であるわたくしが技術省大臣である彼を叱らねばならぬのか。それは彼が仕事はできるが人間ができていないからである。
「やれやれ。今日もエメは手厳しい」
「ボスがちゃんとなさらないからです。いつまでもわたくしやアデールがあなたの面倒を見るわけではないんですよ」
「そうなのかい? 確かにアデールは最近他に面倒を見るべき相手がいるようだけど」
「わたくしにはだいぶ前から実の子がいるのですけれど。というか面倒を見られるのが当たり前だなんて図々しい」
ボスは照れたように笑いながら茶葉を選んでいるが別にほめてはいない。むしろ貶したつもりだ。茶葉を決めてお湯を注いでからボスはわたくしの向かいに座る。それから外を見てぽつりとつぶやく。
「アデールが少し元気になってきて良かったよ」
「そうですわね。昔は本当に無表情でしたから」
アデールは彼女のご主人を病で失い、その後王宮に引き取られてから塔に働きに来ている。最初に内務省大臣のニコラと次官のガルニエに紹介されたときは人形のような顔をしていた。つまり何を思うでもなく、感じるでもなく、といった顔だ。それが一緒に働くうちに少しずつ話すようになり、表情も出てくるようになった。それでも彼女からは諦めであったり、投げやりな雰囲気は消えずにいた。
それが変わったのはロンことヴェロニクを預かるようになってからだろう。最初は小汚い子供だったロンだけど、きれいに洗えばそこそこ小ぎれいなお嬢さんになったし、ご両親の教育が良かったとのことですぐにきちんと話せるようにもなった。アデールがヴェロニクをロンと呼ぶようになってから、わたくしもロンと呼びたいとヴェロニクに言ってみたところ、少し照れたような怒り顔で好きにしろと返ってきて可愛かった。
ロンも最初に比べればだいぶ丸くなったようだ。時折早い時間に顔を出してはアデールが仕事を終えるまでの間にわたくしやボスに文字の読み書きを教わったり、リゼットとなにやらおしゃべりをしていたりする。リゼットには割と初期から懐いていて、服のお礼にと焼き菓子を持ってきていたのがほほえましかった。たぶん差別されずに叱られたのが嬉しかったのだろう。それからリゼットとはゆっくりと少しずつ打ち解けたようで、たまに何かを交換し合っているが、それがなんであるかは教えてもらえない。アデールは知っているらしいが、ロンの秘密だからと教えてくれなかった。
そうやってロンの影響を多大に受けてアデールはとても穏やかになってきた。最初にガルニエにきつく当たった時はとても驚いたけど、その後エロワ王子に怒りをぶつけたと聞いたときは腰を抜かすかと思った。彼女の首が物理的に飛ばなくてよかったと今でも思っている。
それからアデールは丸くなっていった。ロンがいるときは特にそうだし、いなくても受け答え全般が親切になったし雰囲気も落ち着いている。でもその急激な変化を不安に思う気持ちもあった。
「アデールは大丈夫かな」
「どういう意味ですボス」
「変化が激しいと反動も激しいだろう」
まったく嫌なことを言う。でもわたくしが心配しているのも正にその点なので反論の余地はない。
「どうでしょうね。不安がないとは言いませんが」
「今や彼女は大切な塔の一員だからね。ヴェロニクにしても彼女が悲しんで喜ぶものはここにはいないだろう」
「ええ」
「だからこそ辛い思いはしてほしくないけど、でも乗り越えるべきものは自分の力で乗り越えなくてはいけないから」
わたくしはガスパルのこういう物言いが苦手だ。まるで未来予知のような。何か乗り越えなくてはいけない難関が二人の前に現れるかのような言い草だ。
昔ガスパルに告白されたことがある。
『わたしは君のことが好きだけど、わたしと付き合うことで君のストレスは激増するだろうし、最終的に嫌われて辛いから君と個人的には仲良くしないでおきたいね」
告白、だと思うけどどうだろう。そういうことを言われてから彼の予知のような物言いが苦手だ。わたくしのことを勝手に決めないでいただきたい。アデールとロンのこともそうだ。しかし彼の予知が外れたことはなく、反論しかねているのも事実で。
しかしわたくしも彼を嫌いになりたくないので個人的な付き合いはしないようにしている。そういう関係だ。そればかりはずっと変わらずにいる。
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