親ガチャという言葉が苦手です
最近、〇〇ガチャという言葉をよく聞く。
すぐ流行りは終わるのかな?と思ったんだけど、まだまだ使われる場面があるから、ちょっと古い言葉かもしれないけど、ガチャのお話を。
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発端は親ガチャという言葉からだと思うんやけど、私はこの言葉に違和感を感じる。
確かに、生まれた環境が心地よかったり、命を繋ぐのが精一杯だったり、貧富や、家族仲がいい、DVを受けている、とか、それぞれに大きな差はあるとおもう。
そしてその環境に歓喜したり、絶望したり、抱く感情にも差があるとは思う。
私も、おなかいっぱいに食べさせてもらったし、あったかい布団で寝させてもらえて、命の危険はなかったし
大学までは卒業させてもらったから、現代日本の中では満たされた環境ではあった。
世の中からしたら、ガチャで当たった方だと思うんやけど。
毎日の両親、きょうだいの喧嘩、家計のやりくりの苦しさ、自分たちみたいな人生を送るなと、常に完璧を求められる両親からのプレッシャーで、家庭は安心できる場所ではなくて、
結局心の病を負ってしまった。
ほんっっっとうに、ささいなことで激怒する親を心底嫌いだと思ってたし
何しても否定される、私のせいにされる毎日に絶望していたし
なんでこんな家に生まれてきたんだろうって。
こんなに毎日が苦しいなら、早く消えた方がいいなぁって
死ぬか縁を切るかの2択を、中高生の時から模索してた、、、
鬱を悟られないように、必死に日々を取り繕いながら、心身ともに限界だった。
今思い出しても、心が落ちるくらいの強烈な経験。
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今思えば、
この時は、被害者意識だったの。
“された側”
私はこんな人生を選んでないのに、どうしてこんなにも酷い場所に連れてこられたんだろうって。
なんで人間になんか生まれてきちゃったのかなぁ、カミサマは酷いなぁっておもってた。
(神社への願い事なんてこれっぽちも信じてなかったもん。笑)
そこから、自分の考え方次第で人生が変わっていくという思想に出会って
そんなことあるわけねぇと、半ば反抗的な気持ちになりながらも
少しずつ10年くらいかけて、自分自身の考え方を変えてって。
その中で大きな発見だったのは、
“全て自分が選択している”ということ。
池川明先生の、胎内記憶の本を読んでいると、やっぱり両親も選んで生まれてきているんだよね。
私自身、クソ!!っていっぱい叫びたくなるくらい、親のことが嫌いで、なんでこんな人たちと家族というだけで一緒におらなあかんなんってずーっと思ってたけど(ごめんやで笑)
食に関する感性はやっぱり父から受け継いで感謝だし、自分をまっすぐ表現する感性は母ゆずりで、今はこの両親を選んで来たんだなって感覚がどっしりある。
(今でも父親はクソすぎて絶賛大喧嘩中だけどな。)
本気で辛かった、闇しか見えなかった実家時代も、あの辛さがあったから、今は心がしんどい人の気持ちが分かったり
早めにいろんな人生経験を積めてよかったなぁって、すっごく感謝してる。
まさかこんな未来が来るとは思わなかったくらい、2度と経験はしたくないけど、あの闇の実家生活があってよかったって感じるねん。
(父には悲しい気持ちでいっぱいだけどね。それとこれとは別)
結局、自分の感じ方、考え方次第で、ガチャに当たったと思うか外れたと思うかは、いつでも反転してしまう。
受け身で〜されたと被害者意識で生きるのが、自らが選べるという視点で人生の舵を握るのか、その違いなんじゃないかな。
ガチャの一言で、自分の人生を誰かに譲り渡してしまうのが、軽々しすぎな氣がして
この言葉がとっても苦手。
おもちゃのガチャだって、回すのは自分自身じゃない?
もちろん、ごはんが食べられなかったり、お家がなかったり、子どもだから自分で選択できることがほとんどなかったり
命の危険が及ぶような過酷な環境に生まれていたら、そうは思えないかもしれない。
でもどんな環境でも、その中で意味を見出せるのか嘆くのかは、自分が決められることだとおもう。
親ガチャの言葉に違和感を感じた時に、思い出したのが、
ナチスの収容所での過酷な体験を綴った『夜と霧』という本。
明日死ぬかもしれないという環境の中で、いかに幸せを見出して日々を生き抜くのか
自分の人生は自分で決める自由があるということを教えてもらった一冊。
そこが人間として生まれてきた醍醐味なんじゃないかなって、自分の人生を通して感じるから
環境のせいにしてそこで思考が止まってしまう〇〇ガチャという言葉が苦手です。
ほんとうはさ。
息が吸えるだけでも
柔らかい風を感じる心があるだけでも
今ある環境に豊かさや安らぎを感じられるんだよね。
そうなった時に、目の前に現れる現実が、自分の心が本当に心地良い、幸せだって感じられる状況に形取られていく。
当たり前にある豊かさをすぐに忘れちゃうけど!!
今ある環境に不満を持ったり嘆いたりして人生終えるのか
苦しみも、人生の学びに繋げていくのか
自分次第だとおもうのです。
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あれだけ絶交してやると思ってたけれど
母とは今はお友達みたいに仲良いし、だいすきだし
父は愛はあって、嫌いじゃないし
きょうだいともめちゃくちゃ仲良いし
この家に生まれてよかったなぁって心から思うよ♡