大切なものとの別離
実家の片付け、というものに取り組んでいる。
本格的に締め切りを設定して始めたのが数ヶ月前、締め切りのない状態を含めると数年前からじわじわと続いてきたもの。
締め切りが指すものは、家屋を解体する取っかかりの日。もう本当にこの日を境に、中に立ち入ることはできなくなる。
実家の片付けをしたことのある人には、そこにある心理的・体力的・金銭的な苦しみ、悩み、つらさ、名前がつけがたい感情の数々を少しでも共感してもらえるのだと思う。
でも、それが部分的な共感にしかなり得ないことも、今ならよくわかる。
家にまつわるストーリーは、建物の大小も存在する場所も景色も、構成される人間模様も登場人物の数もすべて異なっていて、性格も環境も歴史も様々で、それらが絶妙なミルフィーユとなって折り重なり、そしてねじれたり途切れたりして、また紡がれているもので、どこをとっても同じ境遇などあり得ないからだ。
唯一無二すぎる。
そんなことを、思いながら片付けにまい進……とはなれなかった。どこかでブレーキをかけてしまう自分がいた、疲れただの何だと言い訳をして。その実家に暮らしていた家族も、やらねばならないと言い聞かせながらなかなか手足が進まない。
苦しいし、今も本当にこれが正解なのかはわからない。遺すことにはならない、もっと老朽化していけば危険性も増すし、解体費用が今より安くなる時代はきっと来ないだろう。
正解だったねと、みんなが思えるように、これからの生き方が問われるのかもしれないなぁ。
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