無期限がもたらしたのか、不安の暗闇
ずーっと暗いことしか書けていない、こんなものを世に出してはダメだと自分を戒める気持ちばかりで、これまた悪いループ。
では、何がどうして暗くなってしまうのか?何が理由で体調まで悪いような、やる気が起きないのか?をずっと考えていて、ひとつ浮かんできたこと。
無期限の延期、保留という状態からくる、実体のわからないストレスによるもの。
昨日、私がモヤモヤとした鬱屈の中にあるとき、これまで旅に出ることでスイッチが切り替わることがたくさんあったことを思い出した。
でも今は、旅に出たい→旅先で罹患したらどうしよう→旅に出たい気持ちへ蓋をするか→旅の計画「無期限延期」、である。
旅に出てもいいのはいつなのか。多分この先も誰かが安全保証や合格サインを出してくれることがないだろうとしても、GO TOへの様々な意見が飛び交うのを目にしたり、根強く残るムラ的な考えを耳にすると、私にはとてもじゃないが自分の意思を優先させる決断は出せようもない。
旅に限らず、本来なら今年あるはずだった観に行く予定のイベント、コンサート、公演、いろんなものが予定から消えた。中止、消滅ではない「無期限延期」状態のものもある。
必ずやります、という言葉は100%信じているけれど、その見込みがいつ頃なのか見えてこないというのが、とてもストレスになり得ることを今になって感じ始めた、というわけで。
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それを思うとオリンピックの延期先が来年と決まったことは、照準を合わさねばならない選手にとっては大きな意味あることだったのかな、と少しだけ共感できる気がした(実現の可能性を残したことへの反発も賛成もあらゆるものを取り上げない上で)。
そして、無期限という状態を冠したときに与えるショックを、今回自分で初めて考えられる射程に置けたのだ、と理解した。
例えば。あるバンドが解散ではなく無期限休止した。
ファンにとっては再開の可能性が少しあることを喜びつつ、休止の悲しみになんとか折り合いをつけるのだろうけど、いつまで待てばいいのか……つらい。
いっそ解散という大打撃を受けて、忘れる努力とともに暮らしたある日、再結成してくれたほうが、日々の暮らしは健全かもしれない。あるいは解散せず、無期限休止などと言わず、最近活動してるのかどうかわからないね……という状態でいてくれたほうがいいのか?
そんなの人それぞれ、か。
応援してくれる人に不誠実なことはしたくない、と思えばこその決断だから、と受け止めていくのかもしれない。
無期限と聞いて即座に思い浮かんだ例がこれだったけれど、期限のない状態に置かれるストレスの何と大きいことかを、身をもって知る。
と同時に、見込みとして期限を設定することの意義の大きさにも驚かされる。
入院してもらいます、これこれの数値が良くなれば退院できます、となったときも。数値という目標があっても期間の見込みがなかったら、そこにかかる負荷はよけいに重く感じられるだろうな。
仕事においても「この作業しておいて」と振るほうは何も考えずに投げられるけど、振られたほうは終わりがわからないだけでものすごい不自由さだ。
1時間で終わらなかったら一旦やめて、とか、今週やった進捗で次の展開を変えるから報告して、とか、目処がなかったらとことんダメになる。
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無期限がもたらす不安、ストレスは、想像以上に大きいことがわかった。
加えて、『好き』との隔離によるストレスもある。
私の身体に起きている不調がストレスに引き起こされていると仮定して、早急に引き剥がさなければならない気がしてきた。
これまで仕事や何かのストレスを、好きなものと接する時間が軽減してくれていた。その好きなものたちと隔離せざるを得ない今、代替え品でもいいから『好き』を自分にもたらさなければ危ないのだ。
『好き』はたくさんあるけれど、受け取るパワーの大きなものほど今は遠いから、小さな好きの数を増やしたり新しい好きを探したり。
自分のことは自分で守る。
道がほんの少し見えただけでも、大きな意味につながりますように。願いを込めて。
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