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1人1人違うというのは。

先生に何が必要なのか、みたいなことは
実質的にはほとんど言葉にできない。

共通するようなことは実はほとんどなくて、人は一人一人、そして毎瞬毎瞬違うのだ。

もしどうしても一般化が役立つような場合には、そんななところから始まるのが良い気がする。そこから先はグラデーション。大多数に同じように機能するレベルのものから個別具体のものまで。

でもスタートはいつも、一人一人違う。ということから。

そして先生だって一人一人違う。先生同士で顔を見合わせて、あなたはあなたのままでいい。そして、私は私のままでいい。そこから始まる気がする。

で、どうする?


教師が同じことをして平等性を保つ、というようなトピックが出る。

個人的には、教室を作るのは、子ども達です。という考え方が自分は好きだ。なので、子どもが1人1人ちがければ、出来る教室も違う。それは、平等とかいう前に自然なことだと思う。

そして、先生は子どもと違った立場で、一緒に教室をくっている。ちょっと違った役割で、教室を一緒につくる一員として参加している。それってなんかワクワクする。

でも思えば、みんな一人一人パーソナリティが違うのだから、子どもたちだって一人一人役割を与えられているのかもね。はじめから。人として生をもらった時点で。

そしたら、俺たちもそうだね。

ていうか、そしたら生きとし生けるもの、みんなそうなのかもしれない。草も木も花も。動物や魚や鳥も。

みんな違くて、役割があるのかもね。

そこの視点からもう一度教室を見通したら、

さてどうでしょう。

その子達が織りなすものは、なんでしょう。

#子ども
#学校
#先生
#子どもたち


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