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拉麺ポテチ都知事2「許すまじファミマのトルティーヤ」

緊急事態宣言の副産物として世の人々を困らせていることで最大のものはコロナ感染者が減少しない(そもそもPCR検査をすればするほど増えるので、検査のあり方を変えなければどうにもならない)ことではなく20時以降にありつく食事だろう。

20時以降になるとウイルスが元気よく飛び出すなら仕方ない。でも本気でやるなら、飲食店を昼から閉鎖することですな都知事。あなたの悪口をよく聞くようになったから私はいつも街中で「小池が/小池さんが/緑の○○が」というフレーズを聞くたびに自分の悪口かと怯える日々ですぞ。

さて以前から私は自炊が趣味だったのだが、昨年のステイホーム推奨からは余計に頻繁になり、今では可能な限り自分で料理する。とは言え、遅くまで原稿に追われるライター諸氏と同じく、どうしても外食をしなければならない時も多々ある。そんな時もポジティブに「待ちに待った外食だ!楽しまなきゃソンソン」と考えるのは、長らく続いた貧乏のせいなのかもしれない。

万民にとって食は人生で大切な概念のひとつだろう。「どんなに治安が良い東京でも安価でおいしいものが食べれなくなったら、いよいよ社会的な暴動が起きるだろう」という意見に私は深く同意する。

先日はどうしても仕事が終わらず、空腹も極まりファミマのトルティーヤを食べたのだった。が、これがいけなかった。不味くはない。かといって満足感もない、ただ腹が満たされたというだけだった。「ただ腹を満たす」というのは何と刹那的な行為なんだろう。ダンジョンを探検するわけじゃあるまいし。私はゲーム『トルネコの大冒険』を思い出していた。ゲーム中でひたすら空腹を満たすためにパンを食べるトルネコの気持ちが20年越しで理解できたのである。ああ、トルネコや。

ほどなくして私は少しばかりの怒りを覚えた。まるで悪い恋人に裏切られたと知った相手の様に腹が立つ。許すまじ、ファミマのトルティーヤ。いや、トルティーヤが悪いわけではない。正確にいえば自分への憤りである。なぜ自分は誰かとの温かい団欒やコミュニケーションがあるわけでもない、美味いと満足することもない食事をしているんだろう、という賢者モードだ。

仕事や恋愛で感じる様なことを食でも感じるとは。人間の心は本当によくできているなと改めて思う。食べることへのこだわりと感謝を忘れたくはありませんな。そうして心を落ち着けることにする。

えーつまり、私が何を言いたいかというと、こんな20時以降の飲食店への営業自粛なんて施策はばかげているということだ。根拠なし計画性もなしの不毛な緊急事態宣言、およびその延長に反対する。

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