見出し画像

拉麺ポテチ都知事26「ライターになりたい」

大人のなりたい職業1位はライターだそうで、これに対し当事者から抗議もある様だ。確かに自由な様で結果的に長時間仕事をしていることもあるし、締切にも追われるし、肌も荒れたりする。だが、こういう反対意見は音楽家が「音楽はやめとけ」と言うのと同じである。私も祖父に散々言われた。理由は大体「食えないから」というものだったが、これはスタビライザー的な言説だろう。突破する人は突破するし、それで辞めるならそれまでの話。

私に関して言えば、ライターという仕事は楽しいし大変勉強になるし、生業にできていることを光栄に思っている。音楽家と名乗りながら音楽で生計を建てられていない以上、この仕事がなかったら今頃まだウーバーの配達員をやっていただろう。タワーマンションの一室でパーティに興じるセレブな若者たちに「お疲れっす!あざーす」と応対され続けていたら、きっと私は資本主義に疑念を持ち左傾化し社会主義者になっていたに違いない。

「音楽はやめとけ」と言った祖父は結局、20歳を過ぎる頃には何も言わなくなった。ブルースをそれなりに吹ける様になると理論的なことも言われなくなった。彼は楽理的なテクニカルタームをほとんど知らなかったのだ。唯一言われ続けたのは音色のことである。ジャズサキソフォンを習い始めた時から「音の出し方を習ってこい」と言っていたし、父の葬式で吹いた映像を見た時も「音に心が入っていない」と言われた。ここまで言うとは相当な意地悪か孫思いかのどちらかだろう。結局これが祖父に演奏を評された最後の機会となった。母からの伝聞で知った時は腹が立ったが、今では意味がよく分かる。当時の私は楽器を今ほど鳴らせていなかったのである。

また晩年の祖父はほとんど演奏の機会がなかった。なぜかと言うと、彼は安いギャラの仕事を受けなかったからだ。師曰く「俺がその値段で受けると、後進の相場が下がってしまうから」。とても崇高な回答ではあるが、晩年の演奏をほとんど聴けなかったのは残念というほかない。SNSでもフリーランスの人が「低いギャラの仕事は受けない方が良い」と発信するのを見たことがあるが、ここまで徹底できる人はなかなかいないだろう。その姿を見て、私は必ずしもギャラにこだわるべきではないと考えるに至った。

話を戻すと、つまり私は先輩に「やめとけ」と言われる様な仕事を掛け持ちしている訳だ。これほど恐ろしいことはない。それでも何とかやれているのはフックアップしてくれた人たちがいたからなので、この恩返しは必ずしたいと思う。

そして、それとは別に「やめることはない」と私は言いたい。「音楽はスタイルが命だ」とマイルス・デイヴィスが言った様に、何事も自分のスタイルを見つける必要があるからだ。そのためには時間と労力が必要だし、さらにそのためには好きでい続けることが大事なのである。ライティングも音楽も辞めたらそこで終わる。マッチングアプリで出会ってすぐに捨てたり捨てられる恋愛は容易いが、好きな人や物との関係を深めることを我々現代人はもっと思い出す必要があるだろう。

「スタイル」という言葉は元々「スタイラス」つまり、鉄筆を指している。そこから筆跡を表す様になり、転じて「個性」を意味する様になった。その点で宇野千代が「スタイル」と「文体」という雑誌を同時期に刊行したことが興味深いのだ。この語源からも、まずは書き手こそスタイルを模索すべきだし、仕事にならなくてもやってみれば良いと思う。

先日、代々木公園で寒さに耐えながらサキソフォンの練習していたら、3歳くらいの少女が隣に座って演奏をずっと聴いていて驚いた。その父親もびっくりしていた。そこで「A列車で行こう」を2コーラスほど吹いて別れたのだが、こんなことがあるだけで音楽は楽しいと思えるのである。とにかく自分のペースで日々を楽しむべし。

いいなと思ったら応援しよう!

小池直也
活動継続のための投げ銭をいただけると幸いです!