拉麺ポテチ都知事29「煙草に嫌気が差して」
まん防が出た。ここぞとばかりに渋谷を自転車で巡回する訳だが、最早20時以降にアルコールを出している店などはすぐ見つかるのである。
円山町を走ると普通にクラブも営業していて、たまたま歩いていた警察官に「普通に営業してますねえ」と話しかけると「要請だから守らないところは守らないんですよ」とのことだった。営業していても特に注意もできないので、パトロールをするのみなのだという。「すみませんねえ」と言われたので、何がすみませんなのだろうと思いつつ、その場を後にした。
PCRの検査数を増やせば増やすほど、陽性者は増えるし、濃厚接触者も増えていく。無症状ならそのまま養生して寝てるだけでいいと私は思う。新型インフルエンザを含め、流行り風邪は今までもそうだった。それよりも最初の緊急事態宣言時に見た、開店祝いの花々の前でうずくまった、もんじゃ焼き屋の店主と思しき男性のことを私はいつも考えてしまう。彼は今頃どうしているだろうか。
先日「Emergency」という曲をSNSにアップした。ジャズ研の後輩の酒井くん(長野在住)のビートに歌を乗せたもので、緊急事態宣言中に街中などでよく聞いた言説をもとにリリックを組んだ。こんな際どいトピックでも「フロウがよいから大丈夫」と謎の太鼓判で公開を許可してくれた酒井くんに感謝する。私としてはフックが気に入っているのだが、3度下のハモリを入れたのは初めてで、感覚を掴むのに苦労した思い出がある。
このリップシンクを撮影したのは普段練習しているカラオケ。センター街の付近を歩いていて、上空からサックスの音が聞こえてきたら、私だと思って間違いないと思う。飲み放題なので、ひたすらウーロン茶を頼みながら練習しているのだが、いつの間にか1ターンに2つずつ出てくるようになった。まん防でカラオケが閉まったら、また練習難民になってしまうので、それは何としても避けたいところだ。
それから、祖父のドキュメンタリー「僕はジャズをきいた」もアップしたので暇のある方はぜひ観てほしい。葬式の時に発掘されて式場でループ再生されていたものだが、データを吸い出すのに苦労した。それにしても顔が私にそっくり。47歳時のバリバリした演奏も聞ける。今聴くと祖父の演奏はめちゃくちゃにベニーグッドマン、というかスウィングスタイル。
別府が米軍の駐屯地で桃色特需があったこと、そこで聴いたジャズによって祖父が上京してから譜面なしで仕事をすることができたことなどは大変興味深い。そして以前も書いたことのある映画「ある兵士の賭け」も紹介される。なお、曾祖母が横浜に行って消息不明になった、というのは脚色である。物事を面白おかしく盛ってしまう性質は遺伝的に私も持っているので、思わず苦笑いせずにはいられなかった。
改めて自分のDNAや血統についても考えた。曾祖父から始まった音楽家の血筋は私で早4代目。曾祖父はクラシック、祖父はジャズ、一代飛んで私は何だかよく分からない音楽をやっている。今考えれば彼らはジャンルミュージックというよりも、時代の音楽をやっていた訳なので、私が曲を作ったりラップをしているのは、それと共鳴する部分が一応はあるのだろう。
祖父は厳しくて近寄り辛い存在ではあったが、自分の生活の大きな部分を占める<自転車に乗ること、文章を書くこと、ラップをすること>を私に勧めてくれた。ただサックスを吹けとは祖父に言われたことがない。不思議なことに、それは自分で決めたことなのだ。ミュージシャンとしての自分がどうなっていくのかは分からないが、そういう経緯や縁も踏まえた上で自分の音楽を追求していきたい。
そういえば、最近このNoteを見て仕事を振ってくれたという編集者さんがいた。不意にSNSを見られると、反ワクチンのならず者と判定され、人が離れていくと思っていたので、ありがたい限り。どんなに自分は報われないと思っていても、ふと誰かから手が差し伸べられる瞬間があって、これまで私はサバイヴできている。まったく人生とは不思議なものだなあ。