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SNS Shocking#11「世界が日本に気付く時」(ゲスト:高橋直希)

アニメ人気の波に乗って、AdoやYOASOBIを筆頭とする日本人アーティストが世界的な人気を獲得し始めている。ついに日本産音楽がガラパゴスではなく、独自性だといえる段階が来たのかもしれない。しかし前段として起きたシティポップ・リバイバルを思い出そう。あの音楽群が生み出された70年代後半から80年代こそJポップに通じる、「日本ぽい」要素が多く産声を上げた時代である。

ジャズも例外ではない。1982年に発売された雑誌「別冊1億人の昭和史 日本のジャズ」に掲載されている鼎談「日本的なジャズ」を読むと、批評家・油井正一がフリージャズ以降の世界的な潮流であった、民族的なオリジナリティを押し出したジャズについて触れている。その日本の例として挙げたミュージシャンは現在レジェンド的な存在である秋吉敏子や渡辺貞夫、菊地雅章、日野皓正、山下洋輔だった。

81歳を迎えた日野のバンドで現在ドラムを叩くのが、記事×ポッドキャストによる『SNS Shocking』第11回目のゲスト・高橋直希。数々の天才を輩出する北海道に生まれた新鋭は、本場アメリカよりも日本産のジャズや文化が好きらしい。その感覚の背景にあるのは、多くの才能が開花したマイルス・デイヴィスのマイルス・スクールならぬヒノテル・スクールで受けた影響だという。

その彼も「日本の音楽が、他の国でヤバいと言われるのも時間の問題」と語る。まさか70年代後半のような音楽的な百花繚乱は再来するのか――。そんな期待をさせてくれる高橋の演奏と哲学の裏側に迫りたい。

(写真:西村満、サムネイル:徳山史典、ジングル/BGM:sakairyo)

高橋直希(たかはし・なおき):
北海道江別市出身。小学1年から中学3年までの9年間札幌ジュニアジャズスクールに在籍。在籍中のボストン遠征ではバークリー音楽大学にてタイガー大越より指導、また渡辺貞夫、デビッド・マシューズなど、多くのアーティストより指導を受けJAZZの楽しさを知る。

2016年3月、中学2年の時に札幌にて初の自己ライブを開催し大盛況で終える。以来、札幌市内を中心に勢力的にライブ活動を行ない、2020年から東京に活動の拠点を移す。2017年8月、バークリー音楽大学講師陣による、北海道グルーブキャンプを受講しBerklee Award受賞。

2018年から日野皓正クインテットのメンバーとして全国各地の公演に参加。2019年3月、ジャカルタにて開催のジャワジャズフェスティバル参加。
また大橋トリオ、崎山蒼志の楽曲、ライブ参加などジャンルレスに活動している。

X(Twitter):@Naokidrums
Instagram:@naoki_superman
HP:https://www.takahashi-naoki.com/

海外に行きたいとは思わなかった


――ジャズに開眼したのはいつでした?

もともと母がジャズ大好きで「室蘭ジャズクルーズ」というイベントに連れていかれたんですよ。そこでドラムがカッコいいなと。その影響もあり、5歳くらいからジャズドラムを始めました。ジャズがポップスだと勘違いするくらいにはジャズしか聴いてなかったですね。もちろん友達はJポップを聴いているので、全然話が合いませんでした(笑)。

でも小学校1年生から中学3年生まで所属した札幌ジュニアジャズスクール(ドラムス・石若駿、サックス・馬場智章らを輩出)の中では毎週、音楽の話ができたんです。あとはメンバーとCDを交換しあったり、9個歳上である石若さんや馬場さんのライブを観に行ったり。

――YouTubeも観てました?

そうですね、ずっと検索してました。当時は手が早く動けばカッコいいと考えていたので、観るのはデイヴ・ウェックルや神保彰さんなどのテクニカルなドラマーばかり。あとは小学5年生の頃に聴いたトニー・ウィリアムスが叩く、V.S.O.P.クインテット『The Quintet』(1979年)のインパクトは凄かった。あれでジャズのカッコよさを真に知った気がします。

トニーは年代によって色々なドラミングのスタイルがありますが、あの速さと脳で考えず良い方向に音楽を進めていく力がすごい。彼がいるだけで、どのバンドも推進力を増すんです。

――70年代以降はロックに傾倒するなど、新しい音楽を模索した人ですね。

そうだと思います。大きな口径のバスドラを始めとした、ロックなセッティングでジャズを演奏したり、新しい地平を切り開いていった人。彼のそういう姿勢も好きなんですよ。

――あまりに早くて複雑なドラミングに翻弄されるマイルス・デイヴィス(当時37歳)がトニー(当時18歳)に「もっと練習した方がいい」と言われたという伝説もありますね。

ジャズの世界におけるトランペッターとドラマーの関係は深いんです。マイルスとトニーを始め、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチ、あとリー・モーガンとアート・ブレイキーもそう。あとは日野皓正さんも実弟の日野元彦さんとの関係性もありますね。僕が初めて日野さんを生で観た時のドラムは石若さんでしたが、そのふたりの間柄も直感的に「いいな」と感じました。

ヒノテル・スクールで学んだこと


――上京されたのはいつですか?

4年前ですね。高校を卒業して東京の昭和音楽大学に進学しました。前から東京で活動しているミュージシャンの音楽が好きなんですよ。ドラマーでいうと外山明さんや芳垣安洋さん、山本達久さん、本田珠也さん、森山威男さん。そういう人たちが毎晩どこかでライブしているなんて……。北海道で過ごしていた頃は考えられない世界。だから絶対に上京すると決めていましたね。

逆に「海外に行きたい」という気持ちはありませんでした。日野さんのバンドで初めて演奏した高校生の時に「彼のルーツをもっと知らないといけない」と思ったんです。それから図書館で借りながら日本の音楽を聴き始めて以来、どうしても日本で育まれた音楽に惹かれてしまうんですよ。

――大学時代のことについても教えてください。

昭和音大に入学した時は、ちょうどコロナ禍の真っ最中でした。授業もオンラインが多かったですね。移動日の新幹線の中とかで授業を受けたりもしてました。先生は小山太郎さんと横山和明さん。小山さんからはレア音源を貸りたり、レッスンも実技より座学がメインでした。

横山さんはそれまで関心の薄かったドラムセットについて、ブランドの歴史からヘッドやペダルの種類や効果を教えてもらいましたね。当時の僕はシンバルにしか興味がなかったんですよ。おかげでいい方向に迎えた気がします。今はヴィンテージの温かい音が好きなのでLudwigとGretschのドラムを使ってます。

――ドラムは運搬も大変ですね。

そうなんです。基本的には近所のカーシェアで借りて現場に持って行きます。いつかはマイカーがほしい。飲んだり、ほしいものを買ってたら、お金がなかなか溜まらないんですけど(笑)。

――今年はアブストラクトなソロ作品「腕腕(うでうで)」もリリースしてましたが、こちらについては?

富樫雅彦さんの『Rings』や山本達久さんのパフォーマンスを観て、自分もソロ演奏に向き合い始めました。トリオで演奏するにしても、自分だけで完結できる能力がある3人なら、もっとすごい音楽ができるはずだと思ったんです。それを形にしたのが「腕腕」。世の中のいいことも悪いことも「腕」で営まれる。だから、その力強さを象徴する音源にしたい、というのが出発点でした。

あとは「弦楽四重奏の感覚でシンバル五重奏も可能なのではないか?」というアイデアもありましたね。だから冒頭で5枚ほどのシンバルを1枚ずつ6テイクくらい録音したものをバラバラの速度で鳴らています。始めて触るDAWも楽しかったですね。

――コンセプトがユニークだと感じましたが、そういったアイデアはどこから来るんでしょう?

本ですかね。それも高校生の頃、日野さんとのライブ中がきっかけでした。彼に「おまえは本当に人の気持ちがわからないな」と言われたんです。その時は言っている意味がわからなくて……。でも自分なりに考えてみたんですよ。その結果、世の中のことや作品の背景を知る必要があるなと思い至ったんです。

そこで始めたのが読書でした。一番好きな本はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』。会話の描写が丁寧で、一歩一歩進んでいく感じが好きですね。言葉って何パーセント伝わっているか、わからないじゃないですか。それをすり合わせていくのが会話の重要な部分なんだと思わされる作品でした。

――なるほど。

あとは大西順子さんとのツアーファイナルの現場だった、丸の内・COTTON CLUBの控室に品のある老夫婦が来て「君はいくつ?」と聞かれたことがあります。歳を答えたら「トニーも16くらいでマイルスと演奏してたよね」と。みんなで写真を撮って別れたのですが、大西さんが「さっきの人は村上春樹だよ」と教えてくれて、とても驚いた思い出があります。

彼のことを知らないのが恥ずかしくて、映画にもなった「ドライブ・マイ・カー」も入っている短編集「女のいない男たち」を読みました。あの不思議な空気感はすごい。少ない言葉でここまで広いことを表現できるのかと。

――ちなみに先ほどの日野さんの投げかけの答えは?

結局、投げっぱなしでしたね(笑)。でも日野さんは常に「おまえは何を言いたいんだ?」とメンバーに問いかけてきます。今年82歳の先輩に22歳の僕が思ったことを言うには、強い意志がないと無理。「もっと堂々としろ」ともよく言われましたが、それも最近やっと理解できるようになってきました。

強く言われることに対して、モラハラやパワハラだと思ったことはありません。参加する前からメンバーを叱責する場面を見たことがあって「ジャズをやっていくって、こういうことなんだ」と直感的に思っていましたから。それに日野さんを圧倒して「おまえすごいな」と言われるようになれば、どんな業界でもやっていけるはず。大変な部分も多いけど、全部吸収したい。

今のコミュニティに満足したくない


――また高橋さんは中牟礼貞則さん(91歳)とも一緒に演奏もしています。ベテランミュージシャンと一緒にやることの意義は?

恐らく中牟礼さんが一緒に演奏した方で一番年上だと思います。ベテランの方が出す、テクニックではない衝撃的なプレイは1音出しただけで圧倒されるほどですよ。その音の裏側を理解するのは、やっぱり人生経験以外ない気がしますね。

――その一方で若手のシンガーソングライター・崎山蒼志さんともプレイされています。彼についても教えてください。

彼と仲良くなったのは去年です。もともと僕と同世代の冨樫マコト、サックス・林栄一さん、ギター・大友良英さんというメンバーで演奏したインプロ系のライブを観に来てくれて。その後、彼のツアーにトラ(エキストラの略・代役)で参加しました。

崎山君はどんなジャンルも好きな音楽オタクで、色々なジャンルの新譜が出るたびに「あれ聴いた?」と話しています。少し前だと韓国のガールズグループ・ILLITの話をしたり。すごいボーカリストと演奏すると、一緒に音楽を組み立てている感じで「伴奏」という意識が吹き飛ぶんですよ。同世代だとHIMI君もそうですが「この人に付いていけば大丈夫」という気持ちになります。

――高橋さんの理想のアーティスト像は?

ジャンル関係なく、気になった音楽に手を出していきたいと思ってます。ジャズドラマーだと言われることが多いですが、全部の要素がある不思議かつ唯一無二なアーティストになれれば。そのために自分が今いるコミュニティに満足せず、新しい友達を作っていくことが必要だと感じてます。人から人に繋がっていくのも音楽の良さだと思うし、常に新しい気持ちでいることが大事。

あと音楽の変化と世の中の変化って一緒に起きてるんじゃないかなと思うんです。だから「自分は関係ない」とは言いたくないですね。色々なプラットフォームで情報が出てくる時代ですが、ひとつのことを信じたり固執することなく自分なりの“答え”をいつも持ちたいです。

――新しい場所を目指すと「最近一緒にやらなくなる人」も増えると思います。それは寂しくないですか。

僕が好きな人たちは全員、新しいことを模索しています。だからきっとまたいつか会う時が来るし、みんなが色々な方向に行って変化していくのを楽しみたいですね。もちろん演奏しなくなるのは寂しいかもしれません。でも、その人がどういう音楽をやっていくかの方が気になるし、その進化を見ることこそが僕の喜びなんです。

次のゲストは・・・


22歳らしい瑞々さと、そうとは思えぬ思慮深さが同居する不思議な魅力を感じるインタビューでした。今後の演奏活動やソロ作も注目しています。

彼が次回ゲストとして紹介してくれたのは、本企画初のベーシストとなる冨樫マコトさん。どんな話ができるのか楽しみ。少し更新が遅れてしまっていますが……頑張って取材を続けていきます。(小池)

<写真>
西村満
HP:http://mitsurunishimura.com
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<サムネイル>
徳山史典
HP:https://unquote.jp/  
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<ラジオジングル・BGM「D.N.D」>
sakairyo
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