「自分」を語る

noteを毎週書くと宣言して、半年以上経ってしまった。

「宣言して追い込めば、書く。おれはできる」と思ったのだが自分の怠惰の精神をなめていた。平気で有言不実行をかましてしまう人間だった。

ダラダラしていたことは否定できないが、仕事をしていなかったわけではない。格好良くいえばポートフォリオを見直していたのだ(使い方あっているのか?)。

僕の仕事は比較的納期が長い。書籍のゴーストライターや季刊誌の取材執筆など数か月単位のものがほとんどだ。これが怠け者にはなかなかしんどい。「おお、締め切りまでまだ3週間もあるぜ!!!!」と毎日のように飲みに出ていて1週間くらい前になって「ちょっとヤバくね」と着手して、死にそうになりながら納品する。納期が重なったら地獄なのだが、幾度となくその地獄を繰り返している。

馬鹿なのだろうか。

馬鹿なのだろう。

自己弁護をすると、僕は20年近くデイリーの仕事をしていた。今日書いた記事が明日載る。今日をどう凌ぐかだけを考えていた。めっちゃ忙しい日もあるけれども、マジで何もない日もある。納期が翌週以降ならば、それは「ぐでんぐでんになるくらい飲みに行ってもいい」と同義語だ。

「計画的になれよ」といっても長年染みついた体質はそう簡単に変わらないのだが、もう44歳だ。さすがにマズいぞということでこの数か月で仕事を少しずつシフトしていた。

書籍の仕事をちょっと減らし、デイリーやウィークリーの仕事を増やした。書籍や季刊誌のかたわら、WEBで週3連載を1本、週1連載を1本、月1連載を1本始めた。頑張ればできるじゃん、おれ。

もちろん、納期の問題もあるけれども、自分の名前で表立って書き始めたのは、そろそろ自分や自分の経験を棚卸ししてもいいかなと思ったからだ。

僕はライターとしてはたぶんイレギュラーの道を歩んできた。通常、仕事も含めて自分の経験を書くのが一般的だろう。例えば、政治家取材をしていた人ならば政治、ヤクザ取材をしていたならばヤクザ、野球取材をしていたならば野球を書いてデビューするはずだ。物書きでなくても、半導体の技術者ならば半導体のことを書くだろうし、外交官ならば国際政治について書く。

僕の場合、単著デビューが「酔っ払い」だった。企業取材が専門なのに『人生で大切なことは泥酔に学んだ』という今考えても、人生をなめているとしか思えないタイトルの書籍でデビューした。これは会社に勤めていたものの、あまり働かないでアルバイト原稿ばかり書いていたら、「何か本を書いたほうがいい」とすすめられたものの、いかんせん本業をサボりまくっていたので、本業について書いたら「おまえ、そんなん書くならちゃんと会社の記事を書け!」と叱責されるのは明らかだったので、第二の本業である「泥酔」を題材にしたわけだ。

そんな特異なデビューをしたからか、本業であったはずの経済や産業について書く気力も依頼もなく、なぜか脇道を爆走して、そのまま独立したのだ。我ながら意味が分からない。

なぜ、今回、こんなことを書くかというと、フリーというのは放っておくとただただ滞留するので、意識的にモデルチェンジを自分でしなければいけないからである。

企業取材の経験をいかして何かを書くくらいはマイナーチェンジであるが、仕事とは別になぜかよくわからないが旧知の編集者の依頼で今月から「自分」について語ることになった。

これまた、オファーの意味がわからないのだが、仕事だろうが遊びだろうが「来る者は拒まず」をモットーにしているのでもちろん快諾した。

「おまえの人生に誰が興味を持つんだよ」と突っ込まれそうだが、どんな人の話でも自分語りは面白い。ドラマになる。つまらなかったらそれは書き手の責任だろう。そして、お金が発生しないだけに「仕事だから、ちゃちゃっと書いた」といいわけもできない。タモリではないが、お金が発生しないことこそガチでやらなければいけないのである。ある意味、腕が問われるわけだが、そのくらいのチャレンジがフリーには必要なのかなと2本目のハイボールを飲みながら思ったのである。


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