不登校になってからの話〜中学校・フリースクール編
前回までは、不登校になるまでを書いてきましたが、今回からは不登校になってからのお話をしたいと思います。
過去シリーズはこちらから。
不登校になってから。始まり始まり。
中1の9月。遂に僕は不登校になる。最初の3ヶ月は引きこもって、スペシャで音楽聞いて、BSでイチローがマリナーズでバリバリだった頃だったので、中継を見ていたような気がする。
あと、とにかく寝てた。
そんな日々も少し落ち着いてきた頃。
担任から学校に復帰しないかという話が来ていた。
当然する気もなければ、その元気もない。
原因であるいじめの件はあまり何か動きがあったという訳ではなかった気がする。
なので当然断った。
(ここら辺については、同級生であり産まれる前から母親同士が妊婦教室で仲が良かった友人が、今中学の教師をやっているので、彼に逆にインタビューをしてみたいと思った。)
ここからは、詳しくは覚えてないんですが、母親から旧 適応指導教室(現 教育支援センター。世間的にはフリースクールと呼ばれる所)に通ってみないかと話をもらった。
最初はそんなに行く気がしなかったが、話だけでもとのことで母と2人で行った。
古い公民館的な施設を使って運営をしていた教室は、教室長は元小学校の校長先生(60代後半女性)、保育士の免許を持つ40代の女性がいる、市の運営施設だった。
この時は生徒が2人かな。時期にもよるが、最大でも8人ほどしか在籍していなかった。
何か居心地が良かったのだろう。
僕はとりあえずそこに通うことにした。
一応登校時間目安はあったけれど、別に顔を出すだけでも良かったし、当時出始めでまだ日本語サイトがなかったYouTubeをパソコンで見たり、先生や友人と卓球をしたり、畑で野菜を育てたり。
学校ではできない体験をなかなかさせてもらった。
学校からも支援があり、忙しい合間を見つけて先生達が授業や課題を教えにきてくれたり、話にきてくれたりした。
当時は鬱陶しく思えることもあったが、今思うと自分1人のためにわざわざ時間を割いてくれて、とてもありがたかったと感じる。
校外学習や遠足的なものもあり、陶器を作る教室や県主催で不登校仲間達とスキー体験宿泊旅行や、イルカとの触れ合いセラピー的なものにも参加をした。
ここで学んだことは、不登校でいても楽しんでいいという事と、仲間がいるというに尽きる。
ここで出会った先輩と今も交流を続けていたりするし、この時間がなければ社会との繋がりは途絶えていたのかも知れない。
今回は、適応指導教室での話をメインにこのくらいで終わろうと思う。
次回は、中学生からなぜ高校に行ったのか。そこら辺をお伝えできればと思います。
『生きているだけで、それでいいじゃない』
20200927