昨日読んだ本「ぼくたちの洗脳社会」岡田斗司夫著について

昨日、上記の本を国会図書館で読みました。

和多志の目に留まったのは以下の内容です。

狩猟・採集の時代は、獲物を取ってくるための強さや体力が重宝され、
その能力に重きが置かれた。
農耕が生活に入ると、灌漑等の必要があるので、必然的に「管理者」が生まれ、働く人、管理する人(王など)という身分制度が生まれた。そこにいる人間にとっては、その身分制度に疑問を持つことなく、「そうあって当然」というコンセンサス=パラダイムがあった。物不足の社会であったため、それを満たすために宗教が力を持った。
産業革命以降は、物不足が解消されたので、宗教は力を失った。ただし、「人間はこうあったら幸せ」というパラダイムがあった。なので、たいていの人は高学歴、サラリーマンなどの共通の人生を求めた。
現在は、御用学者は政府に都合の良い内容しか話さないことなどは誰でも気が付いている。したがって、マスコミは洗◯装置として機能しなくなった。価値観が多様化し、情報にあふれている。社会で共通のパラダイムは存在しない。したがって、各個人がそれぞれに自分の価値観に合うコミュニティに属し、そこで気持ちの良い時間を過ごしている。各個人が所属するコミュニティは複数で、そのコミュニティ同士の価値観は矛盾をはらんでいる場合もある。所属するコミュニティに自分の時間や労力等を提供する、または費やすことを喜びとする社会になる。

また、著者の岡田斗司夫さんは、躁うつ病だと聞いたことがあります。
(本人から直接聞いたわけではないので、ここは真偽は分かりません。)
だとすれば、その病気の特性なのですが、
そう状態の時は、とにかく生産性が上がる、
ことをうまく生かして仕事をしている気がしてなりません。

また、和多志も感じていることでありながら、
なかなか上手に言語化できないことを言語化している、
と感じました。


上記の内容を直家さんに報告しました。
そしたら、この本を購入するように指示したので、
先ほど単行本で購入しました。

やはり直家さんと和多志は、ピンとくる箇所が違うことがあります。
この本に関しては、直家さんも自分できちんと確認したい、と考えたようです。

この本は2023年の今読んでもピンとくる本です。

これが1995年に書かれたことが驚きです。

この方の本をもっと読みたくなりました。
以上、ご報告です。

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