嫁でさえ、触れることが許されない場所
私は直家GOの嫁である。
直家GOは私との夫婦の会話で
「俺たち、一心同体!」
としょっちゅう言う。
私も嬉しくて
「うん!!」
と答える。
それでも、それでも、嫁でさえ、
1ミクロンの決定権も無い場所がある。
それはYouTubeのチャンネル運営や出版やその他の活動について。
これについては、嫁でも一切の決定権がない。
全て直家さんが決めることだ。
なぜなら、その責任を取れるのは直家さんしかいないから。
誰かの意見を直家さんが取り入れたとして、
収益が上がり、チャンネル登録者様が増えてくれたら、
それはとてもありがたく、嬉しい事だ。
だが、反対に収益が下がったとしよう。
ファンが離れたとしよう。
誰がその下がった収益を補填してくれるのだろうか?
離れたファンを、誰が連れ戻してくれるのだろうか?
そのファンの心を、誰が変えてくれるのだろうか?
そんな事、人間ができることではないではないか!
誰かの意見を取り入れたとして、
その結果が良くなっても悪くなっても、
その責任を取れるのは
平岡直家(直家GO)しかいないのだ。
だから、嫁でさえ、直家さんの決定には口出しできない。
温かく見守り、できる限りの支援、応援をするだけである。
12/17、12/18の仙台オフ会で、ある方の声が私の耳に入った。
「直家さんは男の子だから、自由にさせておくのが一番いいの!」
私の心にスッと入ってくる言葉だった。
「その通り!!」
私はそう叫んで、心の中で拍手喝采した。
直家さんがこよなく愛するもの。
それは「自由」。
自由を狭めることを極端に嫌う。
「自分の自由が狭められる可能性」
を、ほんの1ミクロンでも認識すると、
直家GOはスッとその場からいなくなる。
実はこの点は嫁も全く同じだ。
だから、「べきべき君」が、直家GOと嫁は大嫌いだ。
その「べき」「べき」に従う時間、
直家GOから「他の選択肢」という「自由」が奪われるのだ。
〇〇すべき、
××はすべきではない、
そんな「べき、べき」を聞くと、
オリンピックの100メートル走の選手よりも軽やかに
逃げてしまうのが、直家GOと嫁なのだ。
ファンの方も嫁も、直家GOに意見はいくらでも言える。
提案もいくらでもできる。
〇〇した方が良いんじゃない?
△△の話題を扱ってくれたら嬉しいな。
〇〇の企画があったら、私も行きたいな。
でもそこに、ほんの少しでも
直家GOへの影響力を利用したいという意図が見え隠れしたり、
直家GOを自分の意のままに動かしたい欲求が感じられたり、
直家GO以外の方にに対して、または直家GO本人や嫁に対して
ガスライティングやアグレッション等のハラスメントがあれば、
オリンピック男子100メートルの
ゴールドメダリストよりも
直家GOと嫁の逃げ足は軽やかになる。
直家GOと生活を共にして、約1年半。
似たもの夫婦でもあり、
全く正反対の性格も持ち合わせている二人だが、
この点は、生まれた時からの共通項だ。