リハビリ開始 地獄のはじまり
この続きとなります。
局所陰圧閉鎖療法が開始されたのが9月21日、怪我から1ヶ月後の事でした。
ここからリハビリの許可もでました。
そして本当に辛く苦しいのはここからでした。
言われていて思っていたよりも。です。
手術から3日後、はじめてリハビリの先生とお会いしました。
後にお家にお邪魔させてもらいリハビリを手伝ってもらう仲になります笑
この日、いきなり車椅子に乗る事になりました。
やっとこのベットの上だけの生活から抜け出せれる。
違う景色を見る事ができる。
自分で動いて範囲は狭いが行きたい所にいけるんだ!
まずはそれだけで嬉しかったです。
左脚がほぼ曲がらない、力入らない状態、更に1ヶ月ベットから動いていなかったのでベットから車椅子に乗る事すら重労働でした。
かなりの体力低下を感じました。
自転車をはじめて12年、コツコツ地味で地道な時間をかけた作業により積み上げられてきた体力と言うものが一気に全て崩れ去って失われてしまった事を理解しました。
それに対しての悲しさはありましたが、焦りはありませんでした。
吹っ切れた気持ちはすでにあり、ゼロからのリトライをする決心はついていたからだと思います。
術後熱がでていましたが、数日で熱も引き、その後も熱は下がっていったので良い状態に向かっているんだと感じました。
細菌は死んでくれているんだな。と。
リハビリ2日目に自分で車椅子に乗り移れるようになりました。
はじめての1人での移動。
自販機まで。
達成感に満ち溢れた顔。
同時にトイレにもいけるようになりました。
ウォシュレット素晴らしい。
本当に嬉しかったですよ。
普通の事ができると言う事が。
そしてこの日からチューブや軽いウエイトを使い、上半身のトレーニングを始めました。
右脚は膝は骨折していないので、すでにこの時完全に曲げる事ができていましたが、左脚はほぼ曲がりませんでした。
まず、最初のリハビリで45度くらいまで曲がりました。
この時はまだ楽観視していましたが後々、毎日リハビリ室に自分の叫び声が響き渡る事になります。
骨折部の癒着が酷く、曲がっても90度くらいまでしか曲がらないと告げられました。
まず、そこから曲げるリハビリをするのは意識を失うような痛さで耐えられないと。
まずは目標90度。
リハビリ4日目には60度近くまで曲がったが、しかしそこから曲げると壮絶な痛みが始まり、数度づつしか曲がらなくなってしまいました。
けれど、前に進むためには痛みに負けずに曲げるしかありませんでした。
また自転車に乗るために
またあの場所に帰るために。
地道な作業は苦手では無いんです。
10月4日、怪我から46日目の事。
ついにこの日から歩行練習開始の許可がでました。
ベットから車椅子の乗り降りも慣れてきて、遂に自分の脚で立つ事ができる。歩行練習を聞き、意気揚々とリハビリ室に向かった自分でしたが、この後一度、失意の底に突き落とされる事になりました。
続く。
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