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全てが変わった気がした2019年8月20日

noteにまず何から書こうかと思いましたが、やはりこの事から書こうと思いました。


ご存知の方もおられると思いますが、2019年8月20日、トレーニング中の落車により大怪我を負いました。

まず、あの時自分がどのような怪我をしたかについて書こうと思います。
ざっくりと書くと…

骨折
.右股関節脱臼 寛骨臼(後方下部)骨折
.右腓骨骨折
.左膝関節後方脱臼
.左脛骨 開放骨折
.左腓骨骨折

靭帯
左足
.後十字靭帯断裂
.膝蓋靭帯部分断裂
.内側側副靭帯断裂
.鵞足断裂

です。骨折は5箇所、靭帯は3つ切れてしまいました。細かいのはまだ諸々あったかもしれませんが(ーー;)


しかし、骨折より厄介なものが自分の身に襲いかかってきました。
それが

開放骨折部の細菌感染 

でした。
何故半年もの間、入院する事になったのか。
それは、この細菌感染が大きく関わりました。

医師に言われたのも、開放骨折で1番怖いのが細菌感染との事でした。
そして、その細菌感染に苦しむこととなりました。


怪我について更に詳しくはまた後ほど書こうと思います。

転けた日の事を振り返りたいと思います。

8月20日、あの日は雨で空は暗く、どんよりとした空気の日でした。

僕は冬か、よっぽど疲労困憊で体調が良くない時でない限り、雨でも基本的には外で練習します。
レースは雨でもあると言う事もありますが、なんといっても雨で外に行かないと言うのは気持ちで負けた気になるのでそれが嫌だったと言うのがありました。

転けた日の数日前に大分のUCIレースがありました。
僕は全くと言って良いほど走れなく、2019年シーズンで1番、と言うより自分の中ではチーム右京に入ってから1番良くない走りをしてしまったと思いました。

2019年シーズンはじまり、春先のUCI1クラスのステージレースで総合6位に入れたのは自分の中でよいスタートを切れたと思いました。プレオリンピックも自分の中で少し自信になった部分がありました。
7月のそこまでキャリアの中で1番走れてる自信があっただけに、大分のレースで少し焦りがでました。
転けた日、この日は調子が復調してきたのか良く、練習メニューも指定数値以上にこなせました。40分のメニューで平均で5.75倍程はでてるくらいでした。
調子が上がってきたからか、まだメニューが終わっても何か物足りない。と言う気持ちになり、帰り道で追加でメニューしながら帰える事にしました。
そこで走行中に、大きな石を踏んでしまい、ハンドルから手が離れ、そのままガードレールに激突、そして崖下に落ちました。
雨、曇りで路面が暗く、見えづらく、更にメニュー中という事もあり石の発見が遅れ、気づいた時には吹っ飛んでいました。

色々な条件も合わさったかもしれませんが、回避できた事故であったと今では思います。

崖下に落ち、すぐに今シーズンはもうレースには出れない。終わったと悟りました。
なぜなら、左右の脚が見たことない方向を向いていたからです。

そして立とうとしても全く力は入りませんでした。
スネの骨が皮膚を突き破り飛び出てきているので血もかなりでていました。

肺挫傷の疑いもありましたが、幸い上半身は無傷で、脚のみに大きな怪我を負いました。

救急車で運ばれ、緊急手術を終え目覚めると、母と祖母、嫁の姿が目に入りました嫁のご両親も来てくれていたのですが、ICUの為、家族以外は入室出来なかったようでした。

目を覚ましてまず、医師に伝えられた事は

.まず競技復帰は不可能

.最悪、歩けたら良いと思っていてください。もし歩けたとしても1年半くらいはかかると思います。

.先ずは開放骨折部の細菌感染が怖い。最悪の場合は脚切断の可能性もある

でした。

なかなか自分にとってはショッキングでしたが、当日は全く状況を飲み込めずにいました。
ただ、家族、嫁が僕の姿を見て泣く前で、『引退か。あかんな。引退やな。』と言ったのは覚えてます。

次の日は朝から転けた瞬間がずっとフラッシュバックする状態でした。
表情筋が死んでしまったかのように一日中無表情でした。
ICUで携帯を使う事が出来なかったので、テレビを見てましたが、何をみても面白い、楽しいと言う感情が全く無く、全ての色が灰色がかって写ってるような感覚で、もしかしたらこれは現実ではないのではないかと本気で思う事もありました。

3日目も朝から同じような状況でしたが、ふとした瞬間、このままではイヤや。あかん。と思いだした瞬間がありました。
8月24日から退院まで日記を書き始めました。書き始めた日の日記にこう書いていました。

『このまま引退して嫁と京都でくらすのも悪くないんかもしれない。怪我して引退。よくある話かもしれん。けどなんかこのままではダメなような気がする。
この試練を乗り越えなあかん気がして仕方がない。一からでもまたやっていこうと思う。何年かかるかわからないけど全て受け入れようと思う。』
読み返すと恥ずかしいですが。


この日、ICUからUCI(レース)に戻る決意をしました。

続く。

次は恐怖の細菌感染について書こうと思います。

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