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【バンコク旧市街】文明開化の香り漂う王室寺院「ワット・ラチャボピット」

王宮やワット・ポーからほど近いフォトジェニックな寺院として年々人気が高まりつつあるワット・ラチャボピット。インスタでもブレイクしつつあり、次のワット・パクナムはここになりそうな予感をひしひしと感じている。

事実、先日立て続けにワット・ラチャボピットの写真をインスタに投稿したところ、両方とも高いエンゲージメントを獲得した。

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これまでも年に何回かワット・ラチャボピットの写真を投稿しているが、年々エンゲージメントが高まっている。それだけ注目されているということだろう。

僕はポートレート撮影でもよくここを利用している。広角レンズがあれば手軽にタイらしさ全開の映え〜な写真を撮ることができるので、ポートレートのロケーションを探している人にも強くおすすめしたい。


王族が建てた最後の寺院

ワット・ラチャボピットの写真は後ほどたっぷりと掲載するとして、まずはこのお寺が建てられた経緯を『タイ三都周郵記(内藤陽介著、彩流社)』から引用してご紹介しよう。

1869年、ラマ5世(チュラロンコーン大王)の即位の翌年から建設が始められ、崩御の年に完成した。国王や王族によって創建された寺院としては最後のもので、以後、王室の仁慈を示す建築は学校や病院へと変化していく。
(引用:タイ三都周郵記 P32より)

なんと、このお寺は王族が建てた最後の寺院なのだという。
王族が建てた寺院は、「第一級王室寺院」に指定され、もちろんこのワット・ラチャボピットも第一級王室寺院である。

Wikiにあるタイの王室寺院のページを見ると、バンコクには10の第一級王室寺院があるが、そこにワット・ラチャボピットよりもはるかに新しいお寺「ワット・プラシーマハタート」の名前があるではないか。

ワット・プラシーマハタートは、今年BTSスクンビット線の駅が開通したことで知られているが、建立は1942年。ワット・ラチャボピットは1869年なので、ワット・プラシーマハタートが最後に建てられた第一級王室寺院ということになる。

どういうことか?
調べてみると、ワット・プラシーマハタートは王族ではなく時の首相ピブーン・ソンクラームの指示により建設されたものであった。
王族ではないが政府が建てた寺院なので第一級王室寺院に指定されているということなのだろう。

というわけで、“王族が建てた寺院”としては、ワット・ラチャボピットが最後ということで間違いなさそうである。


ワット・ラチャボピットは文明開化の象徴的存在

画像3ワット・ラチャボピット本堂

さて、ワット・ラチャボピットの紹介に戻ろう。
前述の『タイ三都周郵記(内藤陽介著、彩流社)』によれば、ワット・ラチャボピットが西洋風建築を取り入れたのはその時代背景によるものだったという。

本堂の外観は、外壁に中国製のタイルが、窓には象篏細工が、それぞれ施された伝統的なタイ建築だが、内部はヨーロッパ・ゴシックを取り入れた斬新な構成で、シャンデリアも下がっているほか、扉には西洋式の水平の像も彫られている。
これは、ベルサイユ宮殿を見学した国王の指示によるものだが、ただ単に国王の個人的な趣味というよりも、一九世紀後半の激動する国際情勢の中で、いちはやくヨーロッパ文化を取り入れて時代の変化に対応しようという、当時の気風の表れと見るべきだろう。
(引用:タイ三都周郵記 P32より)

画像5境内にはラマ5世像が祀られている

ラマ5世の在位は1868年‎〜‎1910年‎。明治天皇の在位が1867年〜1912年なので、ほぼ同時代である。
日本では明治維新が起こり、急速に近代化が進められていたが、時を同じくしてタイでもラマ5世による近代化政策「チャクリー改革」が行われていた。

日本でも明治時代に多くの西洋風建築が建てられたが、タイも同様だった。
このワット・ラチャボピット周辺には国防省やサランロム宮殿といった西洋風の建築が立ち並び、タイ版文明開化の香りを感じることができる。

画像1国防省

画像2サランロム宮殿

前回の記事で取り上げたワット・ラチャプラディットもロープクルン運河を挟みワット・ラチャボピットの対面に位置している。

このあたりは王宮やワット・ポーからも近いわりに観光客は少なく、街歩き、撮り歩きにもってこいのエリア。
フォトジェニックな撮影スポットも多いので、いつかフォトウォークシリーズで紹介したい。

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