旅人が消えたカオサンとアラブ人が消えたアラブ街
明日から9月。1月下旬に新型コロナウィルスの感染拡大がはじまってから、もう7ヶ月も経つのだ。
タイでは9月末まで非常事態宣言が延長されたが、バンコクの街の様子を見ていると、人々の活動はコロナ前に戻りつつあるように見える。
タイ版GoToの効果もあり、国内旅行は活発。デパートやレストランも賑わいを取り戻しつつある。
ソーシャルディスタンシングも緩和され、日常生活の中でコロナの存在を気にかかけることはほぼないと言っていいだろう。
たが例外もある。
それは外国人向けの観光地や歓楽街だ。
今回はコロナ禍で街全体が様変わりをしたカオサン通りとアラブ街の今を取り上げたい。
カオサン通りの今
コロナ禍のカオサン通り
観光地でもタイ人に人気の場所、例えばバンコクなら中華街ヤワラーあたりはコロナ前と同じとまではいかないものの、6〜7割ほどの集客状況にまで改善している。
8月某日のヤワラー
一方、カオサン通りはまた違う状況にある。
カオサン通りはここ数年でバックパッカー街から歓楽街へと変化を続けていたが、このコロナ禍でそれが一層進んでいる。
シャッター街と化したカオサン通り
昼間のカオサン通りは営業している店も人通りも皆無。完全にゴーストタウン状態だ。
しかし、夜にはその姿を変える。
7月末、土曜の夜22時頃にカオサン通りを訪れたのだが、完全にタイ人向けのクラブ街と化していたのだ。
通り全体で1000人以上はいたと思う。
動画から切り出したので粗いが人の多さは伝わるだろうか
コロナ以前からカオサン通りにはパブやクラブが立ち並びクラブ街化してはいた。だが、それだけでなく外国人観光客向けの土産物屋や屋台が軒を連ね、ナイトマーケットとしても機能していたのだ。
マッサージ店も夜遅くまで営業していたし、クラブ遊びをしない人でも夜遊びが楽しめる街だった。
コロナ以前のカオサン通り
タイ人はわざわざカオサンで土産物を買わないし、外国人向けに味がカスタマイズされたレストランにも行かない。割高なマッサージ店に入ることもないのだろう。
クラブ以外は閑古鳥が泣いている
裏カオサンへの抜け道もご覧のとおりの状態
それでも週末の夜に限って言えば、カオサン通りはゴーストタウンから復活の兆しを見せていると言っていいだろう。
カオサン時代の終わりの始まり
バックパッカーで賑わうカオサン通り
ホッとした反面、僕はこの状況に、“カオサン時代の終わりの始まり”を感じた。
安宿を求めて90年代から旅人が集まりはじめ、2000年前後のバックパッカーブームを追い風に世界最大のバックパッカー街へと発展。それから30年が経とうとしている。
この30年の間、バンコクの安宿街としてカオサンは一強だった。東南アジアを旅する者は皆カオサンを目指した。
バックパッカー史というものがあるとすれば、間違いなくその歴史に名を刻んだといえるだろう。
旅人はとりあえずカオサンへ
今でもカオサンを目指すバックパッカーは多いし、安宿もある。
だが、物価はもう安くはない。
マッサージやレストランの価格はスクンビットと変わらないどころか、高い店も多い。
安さを求めて訪れる街ではなくなったのだ。
安宿街から観光地、そして歓楽街へと変化を遂げることでカオサンには人が集まり続ける。
カオサンに求められるものが時代とともに変わったのだ。
マクドナルドも閉店
この状況が来年以降も続けば、ホテルや土産物、レストラン、旅行会社といった外国人観光客向けの商売は完全に消滅するだろう。
また外国人観光客の受け入れが再開したとして、すぐに営業を再開できる店がどれほどあるのか。
旅人の街としてのカオサンは、これから急激に衰退していくかもしれない。
昼間のカオサンを見て、そう感じずにはいられなかった。
“ネクスト”カオサンは…?
それでは次のカオサンはどこなのか?
僕はヤワラー周辺がそのひとつの候補だと考えている。
昨年開業したMRTワットマンコン駅
バンコクではここ1〜2年でBTSやMRTといった都市鉄道の開発が急ピッチで進み、ヤワラーや旧市街、川向うのトンブリー地区など、多くの観光地が電車でアクセスできるようになった。
僕もバンコクに暮らし始めてまもなく10年が経つが、この急激な都市鉄道の整備には本当に驚かされた。
数年前に、「いつか『ワットポー前』みたいな駅が出来たらいいよね」と話していたことが、現実になっているのだから。
MRTワットマンコン駅からヤワラーは歩いてすぐ
渋滞が多発するバンコクにおいて、電車でアクセスできるメリットは大きい。ヤワラーも昨年にMRTワットマンコン駅が開業してから、一層人出が増えたように思う。
僕自身、MRT開業以降、ヤワラーを訪れる頻度が格段に上がっている。
一方カオサンはというと、そういった開発からは取り残され、いまだに徒歩圏内に都市鉄道の駅はないし、今後できる予定もない。
陸の孤島のような状況だ。
こんな環境がカオサンエリアの魅力
高層ビルなどの現代的な建築物が一切なく、タイらしさの残る旧市街の街並みの中で旅情にひたり、現実から離れた旅人の世界でのんびりと過ごしたい、という人にとってはこれからもカオサンは魅力ある街であり続けるだろう。
だが、都市鉄道でアクセスできて、食事や買い物の選択肢が豊富で、おしゃれで手頃な宿に泊まりたい。おそらく大半の旅行者が求めるであろう条件にカオサンは当てはまらない。
ヤワラーの再興
ソイ・ナナ
数年前からはじまったソイ・ナナ(スクンビットではなくヤワラーのソイ・ナナ)周辺の再開発をきっかけにヤワラーは垢抜け始めた。
古い建物をリノベしたおしゃれなカフェやホステルが増えたが、ヤワラー特有の“魔都”感も失われていない。
古いショップハウスが立ち並ぶソイ・ナナ
年々撤去が進むバンコクの屋台街だが、ヤワラーの屋台街は健在。
街全体が夜市のような熱気を放っているのだ。
いつ来ても週末のようなお祭り騒ぎ感や非日常感を感じられる数少ない街。それがヤワラーだと僕は思う。
8月某日のヤワラー
ヤワラーにはリノベすればいい感じのカフェやホテルになりそうな廃墟化した建物が多い。
外国人観光客がいなくても、タイ人観光客だけで最低限は回せる。
外国人頼りのカオサンに投資するよりもヤワラーのほうがリスクを抑えられそうだ。
ヤワラーの伝説の安宿ジュライホテル跡
カオサンに旅人が集まり始める前、ヤワラーは安宿街として一時代を築いた。数十年を経て、またヤワラーの時代が訪れようとしている。
アラブ人が消えたアラブ街
さて、バンコクにはコロナ禍でゴーストタウン化した街がもうひとつある。
ナナのアラブ街だ。
アラブ街とは、スクンビット・ソイ3、ソイ3/1、ソイ5あたりを指す。一帯にはアラブ料理屋、香料屋、水タバコ屋などが立ち並び、道行く殆どの人はアラブ系の人々である。
ケバブ屋台もアラブ街の名物
たまにここに来て、礼拝を呼びかけるアザーンを聞きながらシーシャをふかし、チャイを啜っていると、「あぁ自分は異国にいるんだ」という想いが込み上げてくる。バンコクにいながらにして異国情緒に浸れる大好きな街のひとつだった。
そもそもなぜここにアラブ人が集まったのか。それはこの地名の由来になった「ナナ家」が深く関わっている。
「読むバンコク:『歩くバンコク副読本』(下川裕治 編・著)」では、ナナについてこう紹介している。
ナナ家はイスラム系インド人の家系である。19世紀にタイにやってきたといわれ、香辛料貿易で成功し、スクムビット界隈の土地を所有することになる。
一族のレック・ナナー氏は民主党設立に関わり、第9代党首も務めた。国会議員として大臣も歴任した。
バンコクがスクムビット方面に発展するなか、ナナ家はその開発にも絡んでいく。ナナ家は自らの土地の一部を寄付していく。スクムビットのソイ3〜4界隈がナナと名づけられたのはそのためである。
(読むバンコク:『歩くバンコク副読本』より引用)
ナナ一族が香辛料貿易で成功したイスラム系インド人ということで、このあたりにはムスリムの人々が集まり、アラブ街を形成していったのだろう。
またアラブ街はかつて、“バンコクの三大安宿街”のひとつに君臨していた時代もあったようだ。
「仏都バンコクを歩く(桑野淳一 著)」ではこう紹介されている。
かつてヤワラーのジュライホテル付近、ルンビニーのマレーシアホテル周辺と並んで、スクンビットのグレースホテル周辺は旅行者が目指す安宿三大エリアの一つとして君臨していた時代があった。
その後、これらの場所はそれぞれの事情に合わせて変化していき、バックパッカーの重心はカオサンへと移動したのだった。
(仏都バンコクを歩くP.176より引用)
グレースホテル
当時のカオサンは、“ネクストアラブ街”だったというわけである。
今ではアラブ色が濃く、旅人街的な雰囲気は微塵も感じられないが、アラブ人からすれば唯一無二の旅人街なのかもしれない。
さて、そんな興味深い歴史を持つアラブ街の現在の姿をご覧いただこう。
現在のアラブ街の状況
これからお見せする写真は8月6日に撮影したもの。
正直、このときは記事にするつもりではなかったのであまり写真を撮らなかった。
一緒に撮影に行ったチャイカプ氏の動画の方がより雰囲気が伝わると思うのでぜひ合わせてご覧いただきたい。
まずはスクンビット・ソイ3。
ナナのメイン通りとなるのがソイ3だが、ほとんどのお店が閉まっている。開いているのは数軒のレストランと美容クリニックなど。
ソイ3
規模の大小に関わらず路面店のショップですらほとんどが撤退していたのは衝撃的だった。
すべての店が撤退した路地
僕が一番好きだったケバブ屋もぶっかけ飯屋に変わっていた。
通り沿いはFOR RENTの建物だらけ
アフリカンが集まるこの路地もほとんどの店が閉店
ソイ3についてはアラブ街以外にスポットを当てた記事も書いているので、興味のある人はお読みいただけたら嬉しい。
続いてはお隣のソイ3/1へ。
最もアラブ色が濃いソイ3/1
アラブ街で最もアラブ色が濃く、賑わっていたのがソイ3/1。
僕もよくここに写真を撮りに来ていて、3月に開催した写真展でもこのソイの写真を出展した。
写真展に出展した写真
8月6日の時点では、見た感じ9割以上の店が撤退。現在進行系で廃墟化が進んでいる状況である。
ソイ5へ抜ける道も閉鎖
この光景は本当に衝撃的だった。
あれほど賑わっていたアラブ街の中心地がこんなことになっているとは…
ホテルも売りに出ている
奥に見えるグレースホテルも閉鎖中
この後、夜にも通ってみたが、数軒のレストランが営業。シーシャが吸える店もあった。
ソイ5へ
ソイ3/1からソイ5への抜けるもうひとつの路地もほぼすべてが閉店。
開いているのは美容室のみ
アマリホテル前
ソイ5のランドマーク的存在であったアマリホテルもクローズしていた。
唯一オープンしていたのがフードランド。
入口には「We never close」の文字が。このあたりにはスーパーは少ない。周辺住民のためにもフードランドにはなんとか頑張って欲しい。
カオサンとアラブ街の今後
廃墟化が進行している現在のアラブ街。見かけたアラブ人も数えるほどしかいなかった。あれほどたくさんいたアラブ人は、すべて観光客だったということなのだろう。
アラブ人向けの店が多い=アルコールを出す店が少ない
ということであり、カオサンのように夜の集客も望みが薄い。
もともと一般のタイ人はこのあたりには寄り付かないし、今後もタイ人を集めるのは難しいだろう。
コロナ禍でバンコク各地の観光地や歓楽街を見て回ったが、アラブ街ほど急速に廃墟化が進んだ街はない。
アラブからの観光客が戻るまで耐え続けるのか、それともターゲットを変え、街が変わっていくのか。
今後もカオサンとアラブ街の経過を見続けていきたい。
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