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「ブランコ押して!」→押す選択・押さない選択 @3歳児とのエピソード


《登場人物》
Kちゃん…一歳児女児
Sちゃん…Kの姉。三歳児女児


《出てくるブランコ》
手作りで、座面は木の板。ロープをつかっており、最大にゆらしても2メートルもゆれないほどの規模のもの。


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ある日の夕方の保育中。

KちゃんとSちゃんが、園庭の手作りブランコで遊び始めた。

途中からその場を見ることになったのだが、いまブランコに乗っているのは姉のSちゃん。だけどKちゃんも乗りたそうに見える。

しかし、Kちゃんは何も言わず、すぐそばでSちゃんを見ている。ときどきKちゃんはブランコの紐を手に持つが「もたないで!」と言われている。


少しして、妹のKちゃんはブランコから1メートルくらい距離を置いた。


その後で。


姉のSちゃんが僕にこう言ってきた。
S「ねー押して!」


きたーーー
こういうとき、常に常に悩む。

押してあげても全然いいと思う。同時に、「やって」と言われて動く、を繰り返すとどうなるか?を考えると、「はいわかった」とは言えない感覚もある。


彼女は本当に押して欲しいのか。
なんとなく自分で揺れている。
押した方が楽しいに決まっている。
押した方が僕が楽なのも知っている。


揺れる、僕の気持ち。


でもなんとなく、
この時は「押さない」と決めた。

感覚だが、
「持ってて!」「やって!」と似た匂いを感じた。


子どもの甘えにはいくらでも答えたいが、言いなりにはならないと決めている。でも、押して欲しいという気持ちはものすごく分かる。

「押してほしいよね。押して欲しいよー…」
などとつぶやいてみる。だれかに届いて、子ども同士で何かが起こるかも?と思いつつ。

S「聞いてる?押してよって言ってるよ?」
ギクっ。そうだ、聞こえないフリはよくない。

「そうだね、押して欲しいよね!」
S「一回押してって言ったら押すんだよって、お母さんが言ってた!」
「えー、お母さんそう言ってたんだね!」


などと話しつつ、10分くらいしただろうか。


押さなきゃどうしようもない!なにもできない!怒る!泣く!とかではなく、なんとなくブランコと共に揺れている。


ちょっと聞いてみた。

「揺らす練習したの?」
S「鉄棒公園で練習した。けど一回しかしてないから、まだ揺らせられないの」
「そっかー、僕も小さい頃練習しなかったから、揺らせられなかったなぁ」



なんて話していると、

Sちゃん、すっとブランコを降りた。
「もういいや!」という、諦めというよりオッケー!という感覚がした。


すると妹のKちゃん、喜び勇んでブランコにのる。

はじめは少しどきどきする。一歳児のブランコ。その子の育ちによっては、紐をつかまない子もいるし、後ろ向きに倒れる子もいる。

Kちゃんはどうだろう?
(Kちゃんのブランコをみるのは初めて)

うん、いけそうだ。
下は土になっているので、倒れても大丈夫。


K「ねー押してよー!」
おぉ、やはりきたか。


「おしてよー(笑)」
とつぶやいてみると、
S「もうー仕方ないな」
といって、Sちゃんが背中を押し始めた。


どん!どん!


リズムに合わせるというより、定期的に背中を押している。これだと揺れは強まらない。が、何も言わず待ってみる。



すると、2分くらいした頃から、ブランコの揺れのリズムに合わせて押せるようになっていたのでびっくりした。ほとんど力は入れていない。

そこからまた10分は押していたと思う。
色々話したり、時々Kちゃんが地面に仰向けに倒れ、笑いあったりしつつ。



妹のKちゃんはものすごく楽しそうだった。
幸せそうだった。


そして不思議なことに、
それ以降姉のSちゃんは一度も乗らなかったのだが、表情がものすごく晴れやかなのである。

なぜ?

大人は押していない。
自分が妹を押した。

それでも、
妹が喜んでいたから?
だから嬉しかったのだろうか。


二人のやりとりの中で、時々無言の会話?やりとり?が生じていた。なんとも言葉にできないのだが、お互いの意図を完全に無言でわかり合って、絶妙に動く。そんなことが3回くらいあった。

心が通じていたのだろうか。


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今回は、Sちゃんの「押して」に答えない方を選んだ。結果的に二人とも、楽しそうにブランコを終えた。


もしかすると内心は、全然違っているかもしれない。「押して欲しかったのに」「なんでやってくれないの」「なんでわたしだけ押さなきゃいけないの」かも、しれない。

でも、二人の表情からはそうは感じなかった。

この【ブランコ押して】はどこの保育現場でも確実に起こる出来事だ。その度に、僕は揺れる。


何度も言うが、全然押せばいい。むしろ押した方がいいとも思う。ブランコくらいいくらでも、飽きるまで押してあげればいい。

そう思いつつ、

同時に「押してもらわないとできない!」になったとしたら、それもまた大人が原因とも思う。



『行動に寄り添わない』で子どもたちはどう育つのか。どんな姿をみせてくれるのか。

そこが常にあり、楽しみでもある。



いまのところブランコに関しては、

押さなくてもグレたりしないということと、
押さなかったあとに子どもたちが考えて、いつのまにか自分で揺られるようになっている。または子ども同士で押しあうようになる(特に異年齢)、ということが多い。

そして押した場合は、

かなり延々と「押して!」と言われることが多く(場合によっては一年とか)、押してくれる大人を探すようになる。仲間がじぶんで漕げるようになるまで言う感じになったりする。



どちらがいい?
どちらもいい。
そもそもこれら以外の結果も充分ありえる。


あっているかどうかは、分からない。
毎回少しずつ違っていて、年齢にもよるし、その子にもよるし、その子との関係にもよって違う。


ここを捉えるのが保育、なのだろうか。


これからも、

ブランコの揺れとともに、
僕の心も揺れ続けよう。

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