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「ぼくはこころを無くした」@年長さんのことば

《登場人物》
Aくん…年長男児(気になる子)
Bくん…年長男児
Tくん…2歳児男児
Sくん…2歳児男児
ひ…ひがし

記憶の中をたどりつつ書きますが、子どもたちの言葉の表現、展開の順序は事実と少し違っていると思います。ニュアンスはだいたいあっているはずです。あらかじめご了承ください。

また、この過去のエピソードに関して特定の園をどうこう思っているという訳では全くありません。この件を通じた「自分自身の対応や在り方はどうだったのか」についてを描いたつもりです。

これを読んで下さった方の生き方や在り方に、何かひとつでも気づきがあればと思います。

__

ある日の夕方のこと。
各クラスが園庭で自由あそびをしていた。

庭の一部で、中くらいのサイズのスコップで穴を掘りはじめた男の子たち。変わるがわるに掘っている。あるタイミングで、年長のAくん、Bくん、そして2歳児のTくん、Sくんの4人にスコップが渡った。

4人で掘りながら、

A「ねーねー、ここに子どもだけの地下室つくらない??そしたらさ、大人に怒られそうになったらここに隠れるんだ!」
B「あとさ、お母さんがお迎えに来てまだ帰りたくない時とかも、隠れられるね!」
ひ「おおーーいいねいいねーそれ!たしかに怒られるとき隠れたいしねー!」

と、なんとなくここは大いに乗っかってみた。
「怒られる」か。つまり「大人はいつもよく怒る」とかって思っている、のかな。

そこへ、Tくんのお母さんがお迎えに来られた。

A「T、お迎えきたよ」
B「そろそろおしまいにしな!」
T「・・・」
A「明日もできるよ!明日の明日もできるし、明日の明日の明日もできるし!」
母「そうだよ。スコップ片付けてきて帰ろう?」

しかしTくんの表情はすぐれない。

A「T~はかえれ!」
B「T~はかえれ!」
(おわれ!だったかも)

2人の表情は笑顔である。
だんだんとTくんの表情が暗くなってきた。

ひ「あれ…Tくんの顔が…」

ついにTくんは泣き出した。
それでも2人は「かえれ!」コールをやめない。
これはさすがにひどい。

ひ「Tくん、泣いてるよ?」
反応はない、笑顔で言い続ける2人。

ひ「泣いてるけど、どう思うの?」
やはり反応なし。

母「Tが、あと3回掘ったら帰るって言ってるから、掘らせてもらってもいい?」
A・B「いいよー!」

そして3回掘るTくん。
2人はコソコソと何か笑って話している。
なんだかよくない感じがする。

スコップを返しに行くTくんについていき、せめてと声をかけた。
ひ「Tくん、あんな風に言われていやだったね」
T「うん…」

こうしてTくんは帰っていった。
このままでは終われない。


Bくんがふと、どこかへ行った。トイレだろうか。
この隙に、Aくんに関わる。

ひ「Aくんさ、Tくん泣いてたけど、どう思ってたの?」
T「えー??全然、なーーーんにも思ってない!」

ひ「Sくんは、泣いてるTくんみてどう思った?」
S「えー、なんか重い感じがした(ちょっと言葉違ったと思うけどこんな感じ)」
ひ「そっかぁ…」

もう少し聞いてみる。
直球でいってみることに。

ひ「Aくんはさ、心はあるの?」
A「えー心?ないよ!!」

スパっと即決で答えられた。表情は、苦笑い?嬉しい感じではないが、笑っている。

と、ここでBくんが帰ってきた。Bくんにも聞いてみる。

ひ「Bくんさ、Aくんは心が無いんだって。Bくんは、心ある?」
A「心はね、無いよ」
ひ「えーー!?Bくんも無いの!?」

とこのへんでAくん、穴の向こう側で、僕のま反対をみながらポツリ。

A「いろいろ聞かれるの嫌だから無いっていったー」
んん?どういうことだろう?

ひ「Aくんは、ずっと心がないの?」
A「うん、ずーっとない」
ひ「いつぐらいからないの?」
A「教えなーい!」

ということは自分の中に答えはあるかも?
2歳児のSくんにも振ってみた。

ひ「Sくんは、こころはあるの?」
S「うん、あるよ」
即答だった。

ひ「Bくんは、いつ頃から心がなくなったの?」
と聞くと、すらすらと話しはじめた。

B「えっとね、1歳くらいからない」
ひ「え、1歳から?なんでなんで?」
B「1歳のときにね、ここ(ここの保育園)でたくさん噛まれてさ。すごく嫌だったから、心が飛んでいったの。心が、誰かのところに飛んでいった。それからずっとない」
ひ「えーーー・・・1歳の時にたくさん噛まれて心が無くなったんだ…どんな気持ちだったの?」
B「痛かったし嫌だった」
ひ「そうだよね。え、大人はどうしてたの?」
B「大人は誰も守ってくれなかった。だからここに来たくないって言ってた」
ひ「誰も守ってくれなかったのかー!そりゃ来たくないよね。でも来てたら、心がなくなったんだ…」

だんだん辛くなってきた。
なんてことだ。

前にも一度、小さい頃の噛みつきはその後もずっと恐怖心が残り、自分が「出せる」と思える場に出会うまでずっと言えずに残る、という友人の園でのエピソードを聞いたことがあった。だからものすごく頷けた。

ひ「噛まれてるときさ、大人は本当はどうすればよかったの?」
B「守って欲しかった」(たしか、言ってた気がする。または「守ってくれなかった」か。

ひ「心は戻ってこないの?」
B「一回なくなったらもう戻ってこないよ!でも、大人になったら、新しく小さい心が入ってくるんだよ。僕もちょっとだけ大人の心がある」

新しい、大人の心??

これはどういうことだろう。
世の中を生きていくために、適当に誰かに合わせるという心のこと?自分の心に嘘をついてズルして生きる心?それとも過去を癒やして新しい自分の心を取り戻すってこと?それとも??

ひ「子どもの心は、なくなったままで大丈夫なの?」
B「大丈夫だよ!たくさん噛まれて、心が無くなったら、泣かなくなった。噛まれても前より大丈夫になった!(みたいなニュアンスだった)」

こ、これは…
つまり本当は嫌だったり悲しかったりするのに、その気持ちをどこかに飛ばすか蓋をして、大丈夫なフリができるようになった。から大丈夫ってこと!?

だとしたら、果たしてこの子はこれから幸せなんだろうか?それとも、僕の理解は全然違ってる?もう少し続く。

B「いまは、痛いときは、泣かずに、たまに泣くけど、思いっきり「いたいっ!!」って言ってる」
ひ「なるほどね、「いたいっ」てね」
B「そうじゃなくて、もっとつよい感じ」
ひ「いたいーーっ!!って?」

とにかくBくんが言うには、心をなくしても大丈夫らしくて、逆に辛さが減る、たくましく生きられる、みたいな感じだった。

恐ろしいことだと思った。
理解が違ってなければ、だけど。
いや、恐ろしくないのか?
たくましいって、なんだ??

Aくんにも聞いてみた。Aくん、この間ずっとBくんの言葉を聞いていた。個人的には、前々からAくんのことが気になっていた。表面的にみたらAくんは荒く、常に笑っているのだが、裏に悲しみが見える気がしていた。

ひ「Aくんは、いつ頃から心がなくなったの?」
A「ずっと前。1歳くらいかな」
ひ「どうして無くなったか覚えてる?」
A「覚えてないー、いわなーい!」
ひ「そっかー、、、」

色々あたまがクルクルしてると、Aくんがいくつか話してくれた。

A「心が無いから、妹に乗っかったり踏んだりするんだ」とのこと。
ひ「じゃあ、妹が生まれた時に無くしたってこと?」
A「へへーーいわなーーい」
ひ「もしかして、ほんとはお母さんにもっと甘えたかったとか?」
A「違うってー、教えないー!」


Aくんはずっと笑っている。
そう、いつものあの気になる笑顔。それより少し明るい感じ。だがやはり気にはなる。

ちと現実的なところに話を戻してみる。


ひ「じゃあさ、さっきTくんが泣いてたじゃん。あのときはさ、大人はどうすればよかったのかな?」

すると即答で返ってきた。胸を張って話している。

B「そういうときはね、泣いてるTくんの前にこうやって(両手を広げる)立って、「ダメっ!」「ダメっ!」って、何度も何度も言えばいいよ!」

あれ??

これってつまり、自分たちが「かえれ!」と言っていたことに対して、「ダメっ!」と叱って欲しかった、止めて欲しかったってことか!?!?

がががーーーーーん。
えええ、どういうことだ。。。
僕は、入ったほうがいいところ。流してはいけないところを
何も感知できずに流してしまったということか!・・・・

ひ「あのさ、僕は心があると思う?」
B「うーん、その顔は心がある顔だね」

えー、それは分かるの?
どういうことだーーー


ひ「じゃあさ、子どもでも心がある子もいるの?」
B「いるよ、〇〇と、△△と、あと□□とかもあるよ」

と、

いうところで、Aくんのお母さんがお迎えに来た。お母さんがくると、なんか感覚が少し変わる。不思議で、うまく表現できないがそんな感じがする。もしかしたら、単に僕の心が変わっているだけかもしれないが。

すぐ後にBくんもお迎えが来た。
やっぱり、何かが変わった感じがした。

ご両親が来ると、少しキリリとする?
ぼわん、だらん、とした感じがなくなる?
ご両親に合わせている??

うーん、これは分からない。

__


この後、別の3歳児にも心のことを聞いてみた。

ひ「心はある?」
3「え、ないよ」
ひ「ないの?」
3「うっそー!」
ひ「え!自分で考えた方がいいってこと?(笑)」
3「自分で考えない方がいいよ。うっそー!」
ひ「えーーーどういうことだ(笑)」

しかし、心のことは分かっている感じだった。
やっぱり大人だけがわかっていないのだろうか。
え、僕だけか!


今回の心の話で、
「心がなくなった」
と言っていたが、「なくなった」とわかっているということは、少なくとも心を感じている。感じることはできるということだろうか。

ならば自分で何とかできるのかも?
いやいや、大人が気持ちに寄り添い心を戻す手伝いがいる?

そもそも心は持ってないとだめなのか?
いやいや、存在するのか??


うーん、
きっと心はあると思う。
そして、自分の心は自分の中に置いといた方が幸せだと僕は思う。

だって、自分が本当は何を感じているのかはわかった方がいいし、分からなくなったらそれはすでに"自分"ではない、と僕は思うからだ。


AくんとBくん、
たしかにTくんに対しての言葉は、僕も「心がない」ように見えた。閉ざしている?ここで心を開いたら、泣いている子に笑って追い討ちなんかかけたら、自分の心が痛くてたまらないから。

でも、過去のいろんな経験があり、心があると辛いから、心を手放した。

そんな悲しいことがあっていいのか。
ここは保育の場なのに…


この話は、
まだ5歳、6歳の子の話である。
そんな子達が、
「1歳の頃に心を無くした」と話しているのだ。


これを信じるかどうかは、大人次第。
だけど、もし本当だとしたら??


これと同じようなことが、
全国、世界中で
どれだけ起こっているのだろう??


もっと心のことが知りたい。
「心理学」なんかじゃない。
もっとリアルな、人間としての心のこと。
大切な自分の一部である、心のことを。


そして、
大人の皆さん、一緒に考えませんか。

保育って何?
子育てってなに?
幸せってなに?

心がなくなって幸せなんだろうか??
こんな小さい頃から…


これはものすごく
重要なエピソードなんだと思います。
我々大人が、深く深く考えていかないと、
子どもたちの心はどうなってしまうのか。

そして、
僕は大人の心は、どうなのか。
ぼくのこころは、どうなのか。


__

色々やってます。
https://lit.link/naoyahigashi

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