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【生い立ち】100記事超えたので今更生い立ちについて紹介します~高校編~

皆さんお疲れ様です。
中村です。

地元ではこの時期に雪が降ることはありますが、まさかの東京も雪が降りましたね。


気温の寒暖差にはお気をつけください。


今回は生い立ち編3作目。


前回の中学校編を観ていない方はこちら。

中学校までは野球で結果が出ていましたが、高校生活はどうだったのか。

学校生活も踏まえてご紹介します。


1.高校選び


前回の記事でもお伝えしましたが、中学時代に結果を出したこともあり、私立高校から野球推薦が来ました。

校長室で私と両親、監督、校長、担任の先生、スカウトの方を交えて話し合いに。

当時の私は葛藤がありました。

高みを目指せる環境で野球に集中するべきか。

将来を見据えて勉学も大切にするべきか。

たまたま声がかかった高校では、午後から部活を行う学校でした。

ここで話すと長編になってしまうため割愛しますが、両親がお金で苦労している姿を知っていたので、両親に「自分で決めなさい」と言われたものの、本当は公立高校に行ってほしいのは知っていました。


結果、自転車で通える公立高校へ進学。


2.青春漫画「MAJOR」

漫画MAJOR聖秀編


私が進学した高校は、県大会にも出場したことのない公立校で、1学年2クラスしかない小規模でした。

今までは学校が人数が多かったため、部員数も多かったですが、高校はギリギリの人数でした。

高校を決める際に当時読み返していた漫画があります。

多くの方も読んだことがある野球漫画「MAJOR」です。

主人公の茂野吾郎が名門海堂高校に入学し、その後、海堂と戦いたい思いから、野球部のない聖秀高校に転向して自らから生徒を勧誘し野球部を創る。

最終的に海堂と夏の大会でギリギリまで追い込むほどの熱戦を繰り広げます。

茂野吾郎のように誰もが選択しないようなチャレンジに影響を受けて、当時私が入学した学校は中学校のチームメイトで私のただ一人。

幸いにも小学校のころ、同じ野球部でセンターを守っていた仲間が進学したのでここからバッテリーを組むことに。


3.学校生活

フォトライブラリー


学校生活は街中に住んでいた私は山の方面にある学校へ自転車で通う毎日。

生きは坂を上り、春には八甲田山から吹く八甲田おろしといわれる強烈な風が吹くため通常20分で着くところ、40分はかかっていました。

部活から帰る時間が21時頃だったので、夏は周りが田んぼでしたのでカエルの鳴き声を聞きながら爽快に坂を下って帰っていました。

懐かしい。

学校自体は男女比率が男子3、女子7で女子の方が多い学校でした。

私のクラスでは全体35人中男子が9人でした。

野球部は礼儀を大事にするのは高校でも続き、廊下で先生やお客様がいたらどんなに遠くにいても視界に入ったら大きな声で「お疲れ様です!」とあいさつをしていました。

周りの生徒たちが野球部の挨拶を特に珍しく思うこともなかったのでありがたかったです。

中学校の時の学力から見て実力よりちょっと下の偏差値の学校だったので、クラスでは成績は良かった方だと思います。

何より、テストで赤点が1つでもあったら顧問の部長先生とマンツーマンで補習授業が待っているので勉強も手を抜かなかったです。

ある意味、やらざる得ない仕組みづくりがあってありがたかったです。


3.野球部


野球部に入部すると、早速春のリーグ戦からピッチャー兼キャッチャーで出場することになりました。

今までキャッチャーしかやったことのなかった私ですが、春のリーグ戦から夏の大会まではピッチャーでの出場6割、キャッチャーでの出場が4割でした。

これも先輩方の投手層が薄かったこともあります。

夏の大会ではキャッチャーでスタメン出場し、4回からマウンドに上がるといったフル稼働ぶりでした。

手前味噌ですが、朝日新聞で「スーパー1年生」という記事で特集されました。(笑)

中学時代の実績のおかげで、どこへいっても話題が絶えなかったです。

夏の大会が終わり、秋の大会では打って変わり、ギリギリ人数が足りず近くの高校と連合でチームを組んだこともあります。

それくらい誰も欠けることができない状況だからこそ、今まで以上に体のケアは怠らず行ってきました。

今まではグラウンド整備や道具の片づけは1年生が行っているのが当たり前でした。

高校の野球部では全員が自分の事は自分でやって成り立つ環境でした。

今までは、小学校中学校と光を当たり続ける野球生活でしたが、高校ではギリギリの中で戦ってきました。

この環境を経験できたのが私にとって大きな学びでした。

・仲間がいることへの感謝

・試合に出られる喜び

・チャレンジできる土壌があること

・言い訳が出来ない環境

最終的に3年生でキャプテンで3番キャッチャーを任されましたが、腐らず全員で下剋上を起こすと目標に決めて挑んだ最後の夏の大会。

1回戦は雨の中、後がない緊張感の中、何とか延長戦でサヨナラ勝ち。

2回戦で当たった高校が、春の大会で県大会3位になり、東北大会にも出場した第三シード校でした。

ここまで来たら倒すだけ。

試合も5回途中まで自分たちが2対0でリードしていました。

味方のエラー絡みで2点を取られ追いつかれ延長戦に。

延長11回裏、相手の攻撃。

ランナー三塁でレフトフライが上がり、タッチアップ。

結果はセーフ。

最後の夏はサヨナラで2対3で負けました。

小学校も中学校も野球で泣いたことはありませんでしたが、人生で初めてこの時は泣きました。

それだけ最後の大会にかけてきたからこそ自分の中で一つの区切りがついたのかもしれません。


4.大学進学


部活も終わり、大学へ進学する準備を始めます。

私も東京に出たい思いもありましたし、両親も「東京で色んな人を見てきなさい」と上京に賛成していました。

残りの高校生活は勉強もしつつ友達とも息抜きをしたりしてあっという間に卒業を迎えました。

大学編はまた別の記事でご紹介します。

皆さんの高校生活はどんな生活でしたか?

田舎と都会では生活スタイルが大きく違うかもしれませんね。

以上、中村のブログでした。

中村尚渡








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