【雑記】マヨラー必見!マヨネーズ誕生秘話を調べてみた
皆さんお疲れ様です。
中村です。
いきなりですが、大人になってから何か克服した経験はありますか?
当時幼い頃、マヨネーズが苦手で避けるようにしていました。
それは、クリームパンと思いかぶりついたパンがまさかのマヨネーズパンでトラウマを覚えたからです。(笑)
今では、マヨネーズは好きでサラダにつけて食べたり、お好み焼きやたこ焼きには必ずかけて食べます。
子どもの時のトラウマは長引きますよね。
今回はそんなマヨネーズの誕生秘話について調べたのでシェアしていきます。
1.マヨネーズ発祥
当たり前のように家庭においてあるマヨネーズ。
皆さんは、どこが発祥かご存知ですか?
多くの方は初めて知ることになると思います。
18世紀半ば、スペインのメノルカ島で当時イギリス領だったこの島にフランス軍が侵攻してきました。
その指揮をとっていたのがリシュリュー公爵。
戦火の中、リシュリュー公爵はマオンという港町で料理屋に入った際に、お肉にそえられたあるソースに出会います。
このソースを気に入ったリシュリュー公爵は、パリでソースを「マオンソース」として紹介。
それが「マオンネーズ(Mahonnaise)」と呼ばれ、のちに「マヨネーズ」となりました。
これがマヨネーズの発祥の起源説といわれています。
2.日本に広めた日本人
フランスのリシュリュー公爵がパリでマヨネーズを紹介してから約160年後。
ある日本人がアメリカで缶詰について勉強していました。
今ではお馴染みのキューピー株式会社の創始者「中島董一郎」です。
アメリカでは当時、日常的にサラダが食べられていました。
かける調味料はマヨネーズ。
ポテトサラダにかけるマヨネーズは美味でかつ栄養価も達会と中島董一郎は注目しました。
アメリカから日本へ帰国後、アメリカ人と日本人の体格差を見て、日本人の体格向上を図るために卵黄タイプで栄養価の高いマヨネーズを日本で発売しようと試みました。
すると、関東大震災後の復興を機会に日本の街には西洋文化の波が押し寄せてきました。
衣食住の洋風化が進むのを目の当たりにした中島董一郎は、マヨネーズが日本で受け入れられると確信しました。
そこから1925年3月から日本初のマヨネーズ製造に踏み切ります。
商品名は今も変わらず、「キューピーマヨネーズ」
名前の由来は誰からも愛されるようにと名付けられたそうです。
発売当初はマヨネーズの言葉自体が浸透していなかったため、整髪料と間違われるというエピソードもあるそうです。
3.定番調味料に定着
そして、マヨネーズが世に広まり、卵黄タイプでコクとうま味のあるキューピーマヨネーズは日本のアメリカ食文化との相性もよく、徹底した生産効率を上げました。
そして、一般家庭でも手が届きやすい価格まで下げ、現在は家庭ではかかせないマヨネーズ文化が成り立っています。
昔に比べて現代の日本人の体格が良くなってきているのは、マヨネーズのおかげでもあるかもしれませんね。
以上、中村のブログでした。
中村尚渡
※出店:キューピーマヨネーズHP
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