見出し画像

【雑記】八甲田山の雪にまつわる話

皆さんこんばんは。
中村です。


東京では雪が降り、世間は大騒ぎです。
地元青森で雪に触れてきたこともあり、はしゃいでいる方を見てホッコリしました。笑


今回は雪の話で、青森県にある山の一つ"八甲田山"にまつわる話を紹介します。

<目次>
1.八甲田山とは
2.雪中行軍
3.ちょっと怖い話
4.まとめ

1.八甲田山とは

那須火山帯の中の、八甲田火山群地域を八甲田連峰と称します。

そして、大岳(1,585m)を主峰として高田大岳、井戸岳、赤倉岳、前嶽、田茂萢岳、小岳、硫黄岳、石倉岳、雛岳と10の山々を北八甲田、櫛ヶ峰をはじめ6峰の山々を南八甲田といいます。

それぞれの山は円錐状か台形状になっており、中でも、高田大岳と両側に同じ間隔である小岳、雛岳と噴火口の無い三峯が連なっているのは、火山帯としては珍しいものです。
八甲田連峰は、どれも四方にきれいに裾を開くようになっています。
そのため川が多く流れ、上流では美しい渓谷や滝がよく見られます。
火山のなごりとして、地獄沼などの噴気孔跡や温泉も数多くあります。
標高1,000mくらいまではブナの林になっていますが、それより上はアオモリトドマツなどの針葉樹が主体になります。
1,400mより標高が高くなると高山帯で、ハイマツの群生となりナナカマドやミヤマハンノキなどの低木が混成しています。また、多数の湿地帯があり湿原植物の宝庫になっています。

※出典:https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000092.html
「青森県観光情報サイト」より


2.雪中行軍

※実話をもとに映画化もされました。

雪中行軍は当時、ロシアとの戦争に備えた山岳訓練で、ソ連軍が青森の津軽海峡を封鎖し八戸方面に侵攻上陸した場合に、駐屯地がある青森市から八甲田を越え迅速に軍を進める為の軍事訓練でした。


青森市の兵舎を出発したのは明治35年1月23日。

訓練開始序盤は穏やかな天候でした。


しかし、昼すぎ頃から天気が急変。


風、雪が強くなり寒気もあいまって食料はすべて凍り付く。

ちなみに1月21日の前後はマタギ達の間では山の神の日とされ必ず山は大荒れとなり一度足を踏み入れたら二度とは戻れない白い地獄と言われる日でした。


さらにこの年の1月25日は北海道の旭川で氷点下41.0度という日本の観測史上最低気温を記録しており、まさに観測史上最強クラスの寒波が押し寄せていました。

そんな白い地獄の中、雪をかき分け進んだ隊員達は夕方四時頃には「馬立場(現在「八甲田雪中行軍遭難者銅像」が建っている所)」まで辿り着きましたが、その先は雪が胸までつかえ前に進めなくなってしまいます。


そこで馬立場より少々東側にある窪地の鳴沢という所で露営をすることになります。


ここからが悲劇の始まりで24日、25日と猛吹雪が続きます。


兵士達は全身の凍傷を防ぐ為、睡魔と戦いながらずっと軍歌を歌い足踏みを続けますがやがて次々と倒れていきます。

残りの兵士達もあまりの寒さの為体に血液がまわらす脳の働きに異常をきたし次々と異常な行動を起こし山麓一帯にちりぢりになりました。


雪中行軍の異常を察知し救援隊が八甲田に向かったのは5日目の27日のことです。


そして遭難場所から1.5kmほど青森市側にある大滝平まで来たとき雪の中にひとつの人影を発見します。

この人が「八甲田雪中行軍遭難者銅像」のモデルとなった後藤房之助伍長で、救援隊の目印になる為、雪の中に立っていた後藤伍長はすでに仮死状態となっていました。


その後3日ほどの間に70体ほどの遺体が収容されます。

捜索は冬を過ぎ、春になっても続きました。


堤川に網を張るなどの捜索が行われ、最後の一名が発見されたのは5月28日のことでした。

八甲田雪中行軍遭難者銅像


※出典:https://hirotravel.com/hakkouda/page_thumb16.htm


3.ちょっと怖い話

ここからは、雪中行軍にまつわるちょっと怖い話を紹介します。
小さい頃、父親にこの話を聞いて知りました。笑


ある夏の日、あるカップルが夜の八甲田をドライブしていたそうです。

幽霊などを信じない二人は新しく彼氏が購入したスポーツカーのスピードを楽しむために、八甲田の山を走らせていたそうです。

途中で夜景が綺麗に見える場所があるらしく、そこで休憩をしていたら、彼女の様子がおかしいことに気づきました。

「おい!どうしたんだ??」と聞くと、「寒い…寒いよ…」と体をガタガタと震わせていたそう。
いくら標高が高いところにいるといっても、季節は夏。

震えるほど寒いわけではなかったようで、風邪でもひいたのかな?帰ろうか?なんて言っていたそうです。

すると、どこからともなく、ザクザク…ザクザク…という音が響き渡り始めたそうです。

気味が悪いな…と思いながらも、なんの音なのか分からずに耳を澄ませていると、どんどんとその音は近づいてくることに気づきました。

ザクザク…ザクザク…規則正しいこの音は、季節は夏のなのに雪の上を歩く足音そのもの。

体はこわばり、身動きがとれなくなってしまった二人。どんどんと足音は近づいています。

そして、その足音は車の後方から聞こえてくることに気づきました。

バックミラーを見ると、青白く光るたくさんの軍人が車に向かって歩いてくるそうです。

驚いた彼氏は必死にエンジンをかけようとするのですが、なかなかかかりません。

やっとエンジンがつき、発車!!!間一髪で軍人たちと遭遇することなく走り始めた車。

しかし…彼女が乗っていなかったんです。どこに行ったのか、いつ降りたのか、わからない。

しかし恐怖心から今いた場所に戻ることはできず…そのまま山を下ったそうです。

友人宅に着いて事情を話すと「すぐに迎えに行くぞ」と言われるばかり車に乗り込む。

そして朝日が昇る頃、友達を連れて彼女を探しに行ってみると、車を止めていたすぐそばの公衆トイレの中で、髪の毛が真っ白になった彼女が見つかったそうです。

ぶつぶつと意味不明な言葉をつぶやき、表情は消え去っていたそうです。


その後、彼女は精神病院へ入院したといわれています。


※出典:https://kowabana.jp/boards/40087


4.まとめ

当時の戦争が起きていた時代に過酷な訓練によって起きてしまった遭難事故。


今でも有名な話となっています。


冬はスキー場、夏は登山で訪れる観光客が今も多いです。

それぞれの観光地の歴史を調べると驚く程の時代背景があるかもしれませんね。


以上、中村のブログでした。


中村尚渡


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?