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漢字で感じる人間学64(神と仏・ほとけは「ほどける」)

「神」は外界にある自然現象がモチーフになっていました。一方で「仏」はどうかというと、その語源は「ほどける」からです。「様々な問題をほどいていく人」みたいに、原点は人がモチーフです。

仏教の開祖のお釈迦様は、もともと王家の出で、何不自由ない生活をしていましたが、人間が直面する生老病死をはじめとする様々な問題があることに気づき、それを克服すべく苦行に励み、瞑想によって悟りを開いたとされています。

お釈迦様が説いたのは、人間の心の働きでした。心の中に煩悩が如何にして発生するのか。その無駄な想念に心を曇らせないためにはどうしたらよいか。丁寧に外界の現象や自分の中を見つめることを通して、心の中をクリアにしていく方法を説いていました。いわば「こころのほどき方」みたいなものです。

悩んでいるとき、問題に直面しているときは、自分の中で情報が整理されておらず、ゴチャっとした状態になっています。それを一つ一つ丁寧に見つめてほどいていくと、心の霧も晴れる時がきます。

問題の渦中にいるときは、この「丁寧に観る」ということに中々気づけない。気持ちばかり焦ってちっとも前に進まないとか、ということもあります。そんな時は、自分の呼吸や身体の感覚に意識を向けてそちらの方にフォーカスしてみると、現象との間に距離が取れて解決法が観えてきたりします。

さらにこの「ほどく」のはじめの「ほ」に注目してみると、「はひふへほ」と声に出して発音してみると分かりますが、このハ行の音は「息」に関連しています。ハーっと気合を入れる、フーっとろうそくの炎を消すとかが分かりやすいですね。

そして、「ほ」はどうかというと、「ホッと一息つく」といった様に温かい安心感とうるおいがある息になります。ちょっと湯気も立っている様な感じで、ほかほかのご飯(お風呂、お弁当)、ほっこりした人、ほくほくのジャガイモとか、人を温かく安心させてリラックスさせる音が「ほ」です。

この「ほ」に「とく」で「ほどく」。

「とく」の方は「解く」「説く」「釈く」で細かく分解してみていくこと。あたたかい適温でリラックスして、細かく事象を丁寧にみていく。これが「ほどく」になります。

事象にしても、人にしても、丁寧に細かく分解してその仕組みや内訳が観られるようになると、それに囚われて煩わされることがずっと少なくなってきます。苦手な人も、「ウワっ、こういう人苦手」で終わりにするのではなくて、そうした人ももっと細かく観て、その人のいいところも観ることができるようになると、自分の器も広がって能力を拡大することができるようになります。

その器が大きく拡大していくと、どんな人へも慈愛の心で向き合う「仏」の様な人になり、さらに宇宙大にまで広がると、宇宙中に広がる生命のネットワークそれ自体をも慈しむような「如来」の様な存在になります。

神と仏の出発点は異なりますが、宇宙大まで来ると「宇宙に広がる巨大なスピリット」みたいに殆ど同じ感じになります。

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